岐阜市歴史博物館で10月2日まで開催されている「国宝 薬師寺展」へ行ってきました。 ![]() |
|||
| 岐阜市歴史博物館 パンフレット | |||
今回の特別展は平成23年7月に岐阜新聞が創刊130年となる記念事業として開催されており、 岐阜市内でこれだけ大規模な企画展が開催されることは非常に珍しい。 岐阜県と奈良の薬師寺というと、なかなか結びつかない気がするが、 薬師寺を発願したのが天武天皇(大海人皇子)で、皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を祈ってのことであった。 ![]() |
|||
| 岐阜市歴史博物館 | |||
その天武天皇が天武天皇として統治するまでの歴史を紹介すると、 天武天皇の一代前はその兄である天智天皇で、その時は日嗣の皇子で大海人皇子と呼ばれていた。 もともと天武天皇は自分の次には弟である大海人皇子に天皇の位を譲るつもりでいたが、 天智天皇の晩年に息子である大友皇子が生まれると、やはり親の性なのであろう。 自分の息子に天皇になって欲しいという気持ちが出てきてしまう。 それを察知した大海人皇子は、潔く身を引き出家をし、妃の鸕野讚良皇女と僅かな従者を連れ吉野の地へと隠棲された。 しかし、天智10年(671)12月3日、天智天皇が崩御するとその翌年、吉野に隠遁していた大海人皇子を敵視した大友皇子は大海人皇子の住まう吉野を封鎖しようとした。今で言う必要ないじめがあったのである。そこで大海人皇子はこの大友皇子の行為に、このままおめおめと死を待つことは出来ぬと672年に連れ立った従者たちと共に大友皇子と戦う覚悟をした。 そして、吉野から三重、岐阜と反時計回りに移動するように今の岐阜県不破郡関ヶ原のあたりで大友皇子と一戦を交えた。 これが世に言う「壬申の乱」である。 この壬申の乱では多くの美濃の地方豪族や武士が、大海人皇子の見方をし、 特に美濃出身の3人の舎人、村国男依(むらくにのおより)・和珥部臣君手(わにべのおみきみて)・身毛君広(むげつのきみひろ)には四季を任せたのである。 彼ら三人を呼び寄せた大海人皇子は、私領である湯沐邑(ゆのむら)に派遣して、不破道を塞ぐように命じ、不破郡に行宮を設けた。 村国連男依ら三人衆の活躍はめざましく、わずか一ヶ月あまりで勝利をおさめ、672年7月22日には大友皇子の自刃という形でこの戦乱は終結した。 その翌年に大海人皇子は飛鳥浄御原宮にて即位され、天武天皇となられるのである。 その後、美濃地方では、これからの功績をたたえてのことであろう、 壬申の乱の前後に数多くの寺院が建立された。 簡単に述べたがこれが、大海人皇子が天武天皇となる歴史で、 また岐阜と飛鳥薬師寺とのつながりとなるのである。 ![]() |
|||
| 岐阜市歴史博物館 | |||
なにより、今回の薬師寺展は現在の薬師寺管主である山田法胤氏が岐阜県根尾の生まれ、安田暎胤長老も岐阜出身、村上太胤執事長も各務原の出身と、 今の薬師寺のトップ3が美濃の3人衆が活躍されているということもあり、 1300年前の壬申の乱に活躍した3人衆と重なるこの縁で、今回の展示会が実現された。 実際に会場に入ると国立博物館のように大きな面積ではないので、30分ほどあれば見てまわることが出来る。 ![]() |
|||
| 岐阜市歴史博物館 | |||
その中でも、今回の目玉の一つは「麻布着色吉祥天女(きちじょうてんにょ)像」で、普段は薬師寺にて毎年1月1日から1月15日までの期間拝見することが出来るが、金堂で拝見するため距離5メートルほどの所から幅31.7cm高さ53cmの麻布に描かれた姿を拝見するため細部まではよくわからない。 しかし、今回の展示ではガラスケースの中に収められており1メートルもない近い距離で実物を拝見することが出来る。この機会があるだけでも、薬師寺展に行く価値はあるだろう。 麻布に描かれた奈良時代の絵画は、色彩もしっかりと残っており日本の絵画資料としても貴重なものである。ぜひこの機会に拝見してもらいたい一点です。 ![]() |
|||
| 薬師寺展 図録 | |||
他にも仏像では、休ヶ岡八幡宮の三神坐像(平安時代)、修理が終わり今回薬師寺よりも先にお目見えとなった四天王像(平安時代)、展示の最後には東院堂の本尊である聖観音立像(白凰~奈良時代)が並ぶ。 岐阜市歴史博物館HPに展示の仏像が掲載されています>> 会場奥の物販のコーナーも書籍や御写経勧進の用紙、図録など充実の品揃え。 今回の薬師寺展の図録では、薬師寺のお坊さんが2名来ており、図録に墨で言葉を書いていただける。 今回の薬師寺展は、この地域ではなかなか見ることのできない充実した展示内容となっていた。 また、この岐阜市歴史博物館の向かいには円空美術館、その並びには岐阜大仏で有名な正法寺もある。 岐阜城の散策にはまだまだ暑い日が続くが、この2箇所は簡単に歩いていくことができるので一緒に回ってみてはいかがだろうか。 岐阜市歴史博物館HP:http://www.rekihaku.gifu.gifu.jp 所在地:岐阜市大宮町2丁目18-1(岐阜公園内) 交通アクセス:岐阜市歴史博物館HPを参照 期間:平成23年7月29日(金)~10月2日(日) 開館時間:9:00~19:00(入館は18:30まで) ※ただし9月1、2、6~9、13~16、21、22日は9:00~17:00(入館は16:30まで) 休館日:毎週月曜日 観覧料(当日券):高校生以上 1000円(800円)、小・中学生 500円(300円) ( )内は20名以上の団体料金
大きな地図で見る |
|||
| 参拝日:2011/08/10 | |||
日本一のお寺好きが、日本全国の仏像やお寺、イベントなどの情報を分かりやすくご紹介します。主な掲載地域は奈良、京都、滋賀(湖北)、岐阜、愛知、三重が中心です。古刹、名刹、仏像に関しての拝観情報を紹介。西国三十三箇所巡礼、数珠巡礼も紹介します。
2011年8月13日土曜日
岐阜市歴史博物館特別展 国宝 薬師寺展 【岐阜】
岐阜市歴史博物館 「国宝 薬師寺展」
慈恩寺 脇手を頭上に伸ばす観音様のご開帳【岐阜】
岐阜 慈恩寺
8月10日朝。 この日は前日の夜10時過ぎから明けの1時まで三重県へ林光寺と子安観音寺のご開帳へと行き夜中に帰宅。 5時間くらいは寝ただろうか、それでも日頃の生活リズムや疲れもあり体が重たい。 テレビの天気予報では37度くらいまで気温が上がると言っている。しかし8月10日のご開帳はあと一カ所残っている為にのんびりもしていられない。 ![]() |
|||
| 岐阜市溝口 | |||
早速車を走らせ、午前中のみがご開帳という岐阜市慈恩寺へと向かった。慈恩寺は岐阜城の北を流れる長良川を8キロほど登った溝口という街にある。 長良川と小高い山に囲まれた土地で、夏らしい緑に染まった田園風景の中にある。かつては天台宗の寺院でいまは西山浄土宗の末寺である。 ![]() |
|||
| 慈恩寺 | |||
![]() |
|||
| 慈恩寺 | |||
![]() |
|||
| 慈恩寺 右が本堂左奥が観音堂 | |||
この慈恩寺は、1月1日~3日と8月9日、10日のどちらも午前中のみ収蔵庫が開扉される。 広い境内を進むと楼門があり、その正面に小さな観音堂があった。到着したときは11時を過ぎていたため、参拝客はみられず右手の本堂で数人の檀家信徒さんたちがテーブルや椅子などの片付けをされていた。 きっと、もう少し早い時間にはこの町の人達が集まり賑やかだったに違いない。 私が拝観している間にも、一人の女性が自分の畑でとれたものだろう、野菜を庫裏の方へ持って行き、何やらお寺の方と雑談をされていた。 こうした風景が今でも残っていることを大切にしなくてはならない。お寺とその町の人達が関係するからこそ、そのお寺は成り立ち、またこうしたご開帳という機会があるのだから。 ![]() |
|||
| 慈恩寺 本堂 | |||
観音堂はこの地域によくあるサイズの小ぶりな収蔵庫といった感じで、本尊の千手観音が一躰収まるほどの広さ。お堂の中に上がることはできないが、お堂の外からでも2メートルほどしか離れていない近い距離で観音様を拝むことが出来る。 ![]() |
|||
| 慈恩寺 本尊千手観音坐像 | |||
慈恩寺の秘仏千手観音坐像は平安期の作で、もともとこのお寺にあったわけではなく、もう少し長良川を登ったところにある津保という集落の満願寺に祀られたもので、その像と慈恩寺の阿弥陀像と交換することになり、現在の慈恩寺に安置されている。 慈恩寺の千手観音坐像は、平安時代藤原期の作で手前の4手は合掌手と宝鉢(ほうはつ)手となる。 すべての手に持物を持ち、特徴的なのは肩口からの二臂がスーッと宝髻(ほうけい)の頂上仏の上まで伸び小さな阿弥陀像を捧げ持った珍しい姿をしている。 これは京都の清水寺の秘仏千手観音と同じことからこのような姿を清水寺式という。国内でもこの姿を持つ仏像は非常に少なく、また坐像となるとかなり珍しい。 顔はつり目がちで、口元は堅く結んだ幼さを感じる顔立ち。女性らしさを感じたのは少しふっくらとした胸元が印象に残っているからかもしれない。光背は後補であるが放射状に小手が一面に彫られている。持物、蓮台も候補となる。 ![]() |
|||
| 慈恩寺 本尊千手観音坐像 | |||
一年のうちにわずか五日間。 しかも午前中のみとあって拝観する機会には、なかなか恵まれないがそれだけに今でも綺麗な姿を残しているのだろう。 前日の夜に林光寺をスタートした観音様の縁日に3ヵ寺を訪れることができた。 慈恩寺HP:ナシ 所在地:岐阜県岐阜市溝口中138-1 JR「岐阜」駅より岐阜バス13番乗り場で加野団地線三輪釈迦前行き、約45分で「福富口」バス停下車(560円)、そこから南進し「福富迎田」交差点を東進(左折)、「岐関大橋西」交差点を南進(右折)し数メートルで右手に慈恩寺。徒歩15分 拝観時間:ご開帳時は観音堂が午後12時まで開扉 拝観料:志納 その他詳細情報は仏像ワンダーランドHPへ>>
大きな地図で見る |
|||
| 参拝日:2011/08/10 | |||
2011年8月11日木曜日
林光寺 真夜中に開く秘仏千手観音立像【三重】
三重 林光寺・子安観音寺
8月9日、今年の夏は暑い。 夜になったというのに、この日は気温が下がらず 四日市の工業地帯を走る路肩の温度計は29度を指していた。 お寺さんといえば朝から夕方までが一般の拝観時間であるが、 この日は、三重県の鈴鹿市まで夜間拝観へと出かけた。 8月10日は「四万六千日詣り」といい、この日に観音さまにお参りをすると 四万六千日間お詣りしたのと同じご利益があるとされている観音様の縁日である。 この日の目的は9日22時30分から10日深夜1時までご開帳されている林光寺と、 10日0時から1時までご開帳される子安観音寺の2ヵ寺を訪れた。 ![]() |
||||
| 林光寺 山門 | ||||
四日市インターで高速を降り、国道23号線を走ると林光寺はある。 近鉄の鈴鹿駅の近くで、昔からこの地に人が住んでいただろう静かな住宅街の 中にポツンと提灯を2つ灯していた。 ![]() |
||||
| 林光寺 境内 | ||||
山門から見える奥の本堂は辺りの夜の静けさとは反対に明るく煌々と照らされており、 檀家信徒さんであろう町の人達がすでに20人近く集まり中では法要が行われていた。 ![]() |
||||
| 林光寺 本堂 | ||||
お堂の中では般若心経などがテープでながされており、 一つの大きな数珠を10人ほどの人たちで回していた。 まだご開帳される雰囲気ではなかったため、 寺務所でくつろぐ世話方の方にお話を聞くと、今では 22時30分からの法要となっているが、昔は10日の深夜1時から4時の3時間だけの ご開帳だったのだという。 しかし、時代が進むにつれて、近隣の迷惑になるということから 9日の22時30分から10日の深夜1時までのご開帳に変更されたのだとか。 ![]() |
||||
| 林光寺 本堂 | ||||
22時30分から始まった法要は1時間ほど続き、時計の針も23時を回ると、 決して大きいとは言えない本堂は、外に人が溢れるくらい集まっていた。 靴の数だけでも35人。この町の人達には大切な観音さまの縁日なのだろう。 昔から続く四万六千日詣りは、こうしたその町の人達で守られているものでもある。 ![]() |
||||
| 林光寺 CATVも取材に来ている | ||||
【林光寺について】 多くの人で賑わいを見せるこの林光寺は鈴鹿市神戸町にあり、寺伝によると天平12年に聖武天皇勅願所として 行基菩薩が開創された真言の古刹で、正平年間(1346年~1369年)より神戸城主代々の祈願寺となり 繁栄した。 林光寺はこのように戦国時代の城下町として栄えた神戸の町にある。 本堂は桃山様式となり、外陣の格子天井には花鳥の絵、内陣の壁画には明王や天部の 壁画が残されている。 その林光寺のご本尊が、この日にご開帳される秘仏千手観音立像である。 ![]() |
||||
| 林光寺 法要風景 | ||||
2人の僧侶が真言を唱えながら引き続き法要が続けられている23時30分頃、 大きな鐘の音と共に内陣中央の厨子の扉が開いた。 そして、法要が終わり僧侶の方の説法が終わると、希望の方一人ずつが、 観音さまの手に繋がれた五色の紐を両手に包み、僧侶が手にする密教法具の剣を 体に当てられ、厄除開運をお祈りした。 ![]() |
||||
| 林光寺 本尊千手観音立像 | ||||
![]() |
||||
| 林光寺 本尊千手観音立像 | ||||
その後、本尊千手観音を外陣から拝見するも暗く斗帳はかかったままなので 厨子中の様子がよく分からない。 年に一度のご開帳のため、拝観目的の環境ではないので仕方ないが、目視では 目が慣れてもその姿を拝見することは不可能だった。 すると、この日のご開帳を取材に来ていた地元のCATVの方が撮影用にスポットライトを ご本尊の厨子に向かって当ててくれた。 すると姿が浮かび上がり、その厨子が京都の永観堂見返り阿弥陀さまの安置される厨子のように 金網が張られていることがわかった。目視でしっかりと姿が見えなかったのもこの為かもしれない。 写真に収めさせていただく事はできたが、それでも分かりづらいであろうから、 全体の像容は境内外の看板を一緒に載せることにする。 ![]() |
||||
| 林光寺 本尊千手観音立像(境内の看板を撮影) | ||||
本尊千手観音は平安時代藤原期の作で、国の重文指定。座高が108.1cm(光背まで入れると127cm)の桧の一木造。 全ての脇手には持物を持つ。 年に一度のご開帳ということもあり、保存状態は非常に良く、光背など後補の箇所はあるがそれは残念ということはなく(美術的に見る方は別だが)しっかりと修理も行き届き綺麗な姿を私たちの前に表してくれた。 その素朴ながらも丸い顔は護摩焚きのススで黒ずむこともなく離れた外陣からも木肌が美しく感じられた。 ![]() |
||||
| 子安観音寺 | ||||
じっくりと観音さまを拝見させていただくと時計は10日0時を過ぎていた。 この林光寺から伊勢湾に向かい車で15分ほどの所にある白子の子安観音も 「四万六千日詣り」をされており、本尊の白衣観音さまは、 10日深夜0時から1時までがご開帳である。急いで車を走らせた。 ![]() |
||||
| 子安観音寺 本堂 | ||||
境内に到着すると、こちらも沢山の人が集まっていた。 この深夜の時間帯にご開帳される寺院は鈴鹿市内では、この2ヵ寺であるが もしかすると、この地域には昔からもっと多くの寺院で四万六千日詣りがされていたのかもしれない。 ![]() |
||||
| 子安観音寺 | ||||
子安観音寺も林光寺と同じく真言の古寺で、本尊には白衣観音をおまつりし、 「白子の子安観音」の呼び名で親しまれる安産や子授けの信仰が篤いお寺である。 昭和の時代に新しくされたお堂には沢山の人が列をつくり、外陣でお寺の方から 塗香を頂き、体を清めてから3人1組で内陣奥の厨子に向かう。 そこで二人の僧侶と一緒に白衣観音のご真言 「オン シベイテイ シベイテイ ハンダラ バシニソワカ」と7回唱え拝見する。 こちらも林光寺と同じく厨子の中は暗く目視では像容を把握することは出来なかったが、 手前に御前立、その一段上がった奥に本尊白衣観音像が安置されている。 ![]() |
||||
| 子安観音寺 境内 | ||||
深夜1時を手前にして、8月10日年に一度だけの観音さまの縁日が一旦終わった。 しかし8月10日は始まったばかり。 一旦帰路につき、朝には岐阜へと向かうことにする。 林光寺HP:ナシ 所在地:三重県鈴鹿市神戸6丁目7-11 近鉄「鈴鹿」駅下車徒歩10分 拝観時間:ご開帳時は8月9日午後10時30分~8月10日午前1時まで 拝観料:志納 その他詳細情報は仏像ワンダーランドHPへ>>
大きな地図で見る 子安観音寺HP:ナシ 所在地:三重県鈴鹿市寺家町3-2-12 近鉄名古屋線「鼓ヶ浦」駅下車 徒歩3分 拝観時間:ご開帳時は8月10日午前0時から午前1時まで 拝観料:志納
大きな地図で見る |
||||
| 参拝日:2011/08/09~10 | ||||
2011年8月7日日曜日
正妙寺 千の手と足を持つ異形の観音菩薩【滋賀】
滋賀湖北 正妙寺
千手千足観音という聞き慣れない名を持つ観音さまが湖北の高月町「正妙寺」に安置されている。 寺伝によると寛弘の時代(1004~1010年)に西野のこの地で建立され、 その後天正の時代(1573~1591年)に西野丹波守秀方が現在の場所へ移したが 元和三年(1617年)に兵火にかかり堂は消失。 多くの仏像はこの兵火で焼失してしまうも、この千手千足観音様は村人たちの必死の努力で 守られたのだという。 その後も村人に大切に守られ明治四年(1871年)に現在のお堂が建立され観音像が安置された。 ![]() |
|||
| 正妙寺 山道 | |||
正妙寺へは観音の里として有名な高月町の西の外れにある「西野」という地区の北にあり、 日枝神社の脇を登るとある小さなお堂がそれである。 寺と言っても小さなお堂で、正妙寺への登り口にはイノシシ避けの電線が張られていた。 世話方さんが言うには、お堂には防犯装置をつけているものの、この山には今でもイノシシや猿が出るので、 お堂を守るために電線を張っているそうだ。 ![]() |
|||
| 正妙寺 | |||
![]() |
|||
| 中腹に見えるのが正妙寺 | |||
![]() |
|||
| 正妙寺 本堂 | |||
常時拝観ができるわけではなく、この地域の方が世話方として管理をされており、 事前予約をすることで拝観可能となる。 この日もすでにお堂には世話方の方が先に到着されており、私たちを待っていてくださった。 ![]() |
|||
| 正妙寺 十一面千手千足観音 | |||
本尊は日本でここだけにしか現存しないであろう千の手と千の足を持つ観音さま。 上半身は裸形で腰布をまとい、顔は馬頭観音のように憤怒相をしている。 額には縦に目を持つ三眼で、頭上には9つの化仏と大きな頂上面をもつ。 憤怒相と言われているが、その表情はまるで拝むものに何かを強く訴えかけるような表情をしている。 正面二本の手は右手に錫杖、左手に戟(ゲキ)をもち脇手は左右17本、肩幅にどっしりと力強く開いた脚は 脇脚として左右19本が扇状に広がっている。 寺伝によると江戸時代に体躯に金泥を塗り、瓔珞も修理され、蓮台も同時代に作られたのだという。 寺伝から考えれば平安時代の作であろうが、しっかりとした調査は今までされておらず詳細な時代については 不明のままである。 千足観音は円珍(814~891)が入唐の際に、中国において阿闍梨より授けられ三井寺(園城寺)の経蔵に秘蔵されていたというがその図像は掲載されておらず形相は明らかではない。 時代がはっきりしていないにせよ、このような像は非常に珍しく、この千手千足観音が天台密教に関係する仏像であることは間違い無いであろう。 ![]() |
|||
| 神武天皇遥拝所の碑 | |||
また、このお堂の少し上には「神武天皇遥拝所」という石柱が建っていた。 後日、世話方に聞くと、橿原神宮に神武天皇が参詣された際に村人達がこの丘に登り、 ここから橿原神宮に向かい拝んだ場所ということで石柱を建てたという。 なぜこのような場所に遥拝所の石柱があるのか一瞬不思議に思ったが、 正妙寺から下り、日枝神社の案内看板をみて納得ができた。 ![]() |
|||
| 日枝神社の水源 | |||
そこには水源があり、池には丸々と太った鯉が何匹も泳いでいたのだが、 この西野は琵琶湖からも近く水に恵まれた土地で、享保~元文には鉄分の多かった水を 竹などに水を通すことで浄水し生活用水としたそうだ。 これを筒池と呼び、日枝神社には今でもその水源とそれを記念する看板が掲げてある。 ![]() |
|||
| 正妙寺の眼前に広がる田園風景。この山の向こうには琵琶湖 | |||
水に恵まれ、小高い山に囲まれた西野という土地は、千年以上昔から人が生き続けた土地なのだろう。 その村人たちが、これだけはという思いで守りぬいた伝来不明の観音像。 その異形の姿は、特別な力のある観音さまとして、また地域が守っていく大切な本尊として今も昔も西野に暮らす人々に篤く信仰されている。 正妙寺HP:ナシ 所在地:常善寺HP JR北陸本線「高月」駅よりタクシーで20分、「木ノ本」駅よりタクシーで20分 高月町コミュニティバス北回り線「西野」バス停下車徒歩5分 拝観時間:9:00~16:00(要予約) 拝観料:300円 その他詳細情報は仏像ワンダーランドHPへ>>
大きな地図で見る |
|||
| 参拝日:2011/08/03 | |||
2011年7月31日日曜日
常善寺 小さなお堂で体感する立体来迎図【滋賀】
滋賀 常善寺
琵琶湖の南東に位置する滋賀県草津市の浄土宗寺院「常善寺」。 天平時代に良弁僧正が華厳宗のお寺として創建されたと伝えられる草津最古の寺院です。 この日は7月7日七夕。ここに安置されている鎌倉期の阿弥陀三尊にどうしても会いたく、車を走らせた。 この寺院は無住の寺で拝観するには前日までに予約が必要である。 しかしその予約もそう簡単なものではなく、土日は拝観を休みし参拝客も団体のみというのが原則となっている。 この日は偶然、団体客が11時頃にみえるということで、私はその中にご一緒させていただくこととなった。 ![]() |
|||
| 常善寺 昭和43年以前の写真(くさつ夢本陣にて) | |||
常善寺は、東海道五十三次52番目の宿場である草津宿から300m程しか離れておらず、往時には3499坪の寺領を持つ程の 隆盛を極めたが、大正時代から寺の修理修復を怠ったため本堂は老廃、その後、昭和43年に現在の鉄筋コンクリートの本堂が 落慶され、平成14年にはその敷地内に浄土宗滋賀教区教務所が建った。 現在はこの滋賀教区教務所が常善寺本堂を管理されており、この日の予約手配をしていただいた「くさつ夢本陣」のボランティアガイドさんに 挨拶をすまし、そこから数分の常善寺へと向かった。 ![]() |
|||
| 商店街アーケードの奥に見えるのが常善寺 | |||
![]() |
|||
| 常善寺 | |||
アーケードを進むと北側に広い駐車場があり、その奥に小さなコンクリート製のお堂が見えた。 この時点で団体客はまだ来ておらず、とりあえずお堂の隣に建つ大きな浄土宗滋賀教区教務所へ拝観の旨を告げると、 私一人だけであるにも関わらず本堂の鍵を開けてくださった。 後から知った話だが、予定の11時の時点で団体の方は遅れており1時間ほど後から常善寺に到着したらしい。 ![]() |
|||
| 常善寺 見返り文殊菩薩 | |||
堂内に上がるとその建物の大きさとは不釣合なほど、大きく拡がる鎌倉時代の阿弥陀三尊が安置されていた。 お堂には上がれても20人くらいがギリギリのスペースだった。 ![]() |
|||
| 上、観音像台座下框の墨書(健長五年) 下、虫損台座蓮弁の墨書(康元元年) | |||
中尊の阿弥陀如来は康元元年(1256)に造像されたもので、後に購入した草津市教育委員会の発行書には その証となる墨書が掲載されていた。 下記の図の下側の「常善寺中尊台座蓮弁墨書銘」がそれで、康元元年の文字が中央の蓮弁でよくわかる。 また、その上の写真は観音菩薩像台座の下框に住み書が残されており健長5年(1253)の墨書がある。 ![]() |
|||
| 常善寺 阿弥陀如来坐像 | |||
![]() |
|||
| 常善寺 阿弥陀如来坐像 | |||
脇侍の観音・勢至両菩薩は宝髻高く、切金文様の入った衣紋は複雑に風の流れを表した姿。 中尊の阿弥陀如来は螺髪が大きく右足を上にした結跏趺坐で来迎印を結んでいる。 ![]() |
|||
| 常善寺 勢至菩薩 | |||
![]() |
|||
| 常善寺 観音菩薩 | |||
![]() |
|||
| 常善寺 勢至菩薩衣紋 | |||
三尊背面の来迎壁には二十五菩薩来迎図が描かれており、こちらは3年ほど前に修復され、 三尊と併せて立体的な来迎絵巻の構図を表している。 その三尊の姿から一説には快慶の作とも言われているが、墨書にある1256年という年代を考えると 生没年不詳の快慶ではあるが、その後の文献から考察すると1223~1227年の間に没したことは確かであり、この三尊は 快慶に最も近いその直系の弟子行快などの作ではないだろうか。 誰が造像したにせよ、鎌倉前期の特徴をよく留めたこの姿がほぼ完璧な状態で光背と共に残っている。 小さなお堂に立体来迎図という観光寺院では絶対に出会うことのない仏像空間をこの常善寺では体験できる。 そしてこの後は、次に予約している大津市の圓福院へと向かった。 常善寺HP:ナシ 所在地:滋賀県草津市草津3丁目9番7号 JR琵琶湖線「草津」駅下車、徒歩15分 拝観時間:要予約確認 拝観料:志納 その他詳細情報は仏像ワンダーランドHPへ>>
大きな地図で見る |
|||
| 参拝日:2011/07/07 | |||
2011年7月24日日曜日
源昌寺 見返り文殊菩薩を安置する湖北の古刹【滋賀】
湖北 源昌寺
滋賀県の琵琶湖北部に位置する湖北地方は、信仰篤い人々によって守られてきた観音の里である。 この地は1000年以上昔から相当数の堂宇をもつ信仰篤い地で、戦乱や天災を乗り越え無住の寺となった所では、その集落の人々がみほとけを大切に守り続けている。 今でも各村落にはお堂が一つ二つあり、往時の姿は分からないほどに小さくなってしまったお堂には集落の人々が交代制で、お堂の管理をし私のような参拝者が来ればどのお堂も快く開扉してくださる。 今回は、田植えが始まったばかりの初夏の湖北を旅してみた。 向かった先は湖北地方のさらに北部に位置する「余呉」 ![]() |
|||
| 源昌寺 | |||
スキー場もあるこの山里にあるのが曹洞宗の源昌寺。上丹生という集落にひっそりと佇むお寺で、外観は本堂と庫裏が一つになっているので一見するとここがお寺であるかは分からない。屋根の上に寺紋が三つ並んでいるというだけで、民家と言われても遜色ないつくりである。 ![]() |
|||
| 源昌寺 | |||
この地域では殆どのお寺やお堂がそうであるように、観光寺院とは異なり事前に拝観予約が必要となる。 一般的にはその地域の観光協会や役場へ連絡し取り次いでいただくのだが、この日は連絡先を知っていたということもあり直接お寺の方へ拝観のお願いを申し込んでおいた。 家のベルを鳴らすと出てきたのは、自分の母親くらいの歳の坊守さん。おそらくこの家の主でもある住職の奥様であろう。 「ようこそ遠いところおくれやした」と優しい笑顔で玄関を通していただくと、まさに田舎の広い民家そのものといった作りで広い土間の奥には勝手場がある。 その左の畳の間がお堂になっており諸仏はそこで拝見することができるのだが、本堂となるその畳の間に一歩入ると、その仏像の数に思わず圧倒されてしまった。 ![]() |
|||
| 源昌寺 本尊阿弥陀三尊など | |||
明治の頃までは洞寿院の末寺として、源昌寺の前身である源昌庵の他に清福庵、永伝庵、自在庵があり、さらには全秀庵 、誾徹庵 、祖心庵 、成就庵などの名前も記録にあるという。しかし時代を経てこれら小寺は経営難から次々と廃寺となり、最後はこの源昌庵(現在の源昌寺)に統合されたのだという。 源昌寺の本尊は須弥壇上に安置された江戸時代の釈迦三尊であるが、先のような状況から他宗派である真言宗の中林寺の仏像も預かっておられる。 特に珍しいのはその本尊の下段に安置された文殊菩薩で、獅子に乗った見返りの文殊様である。この構図は非常に珍しく、京都の永観堂で有名な見返りの阿弥陀様のように少しだけ顔を左へ向けた姿をしている。 ![]() |
|||
| 源昌寺 見返り文殊菩薩 | |||
他にも仏像は多く、高さ10センチほどであろう小さい像ではあるが艶のある表情が印象的な如意輪観音坐像もお厨子の扉を開けて拝見させていただいた。 ![]() |
|||
| 源昌寺 如意輪観音 | |||
この源昌寺には、伊香西国28番札所本尊である中林寺の本尊聖観音菩薩さまが安置されている。宗派の異なる中林寺の本尊のために数年前に改築したそうで、坊守のお母さんは「こんなところでも窮屈でないだろうかね」と心配されていたが、その空間を見る限り中林寺の本尊だけでなく全ての仏像を大切に扱われていた。 その新しく改築された本尊は秘仏のため前には御前立が安置されている。 ![]() |
|||
| 中林寺御前立聖観音(源昌寺) | |||
江戸初期であろうかふっくらとした優しいお顔をしている。本尊と御前立はどちらも寄木造りで彩色の後が所々に残っている。 掲げられている写真を見る限りでは本尊のほうが引き締まった表情をしていて、御前立のような柔らかい雰囲気はない。しかし、その作りや造形が全く同じなのでこの二躰は同時代に同仏師が彫られたものであろうということだ。 ![]() |
|||
| 中林寺御前立聖観音(源昌寺) | |||
そして湖北でのもうひとつの出会いは、みほとけを守る人との出会い。 みほとけを守り、みほとけに守られ暮らしている人たちとの出会いが旅の思い出を一層深いものにする。 この日も一番の安らぎは、この坊守のお母さんの笑顔だった。 ![]() |
|||
| 源昌寺 | |||
源昌寺HP:ナシ 所在地:滋賀県長浜市余呉町上丹生2247 JR北陸本線「余呉」駅下車、バスで約25分 拝観時間:要予約確認 拝観料:志納 その他詳細情報は仏像ワンダーランドHPへ>>
大きな地図で見る |
|||
| 参拝日:2011/06/08 | |||
登録:
投稿 (Atom)


















































