千手千足観音という聞き慣れない名を持つ観音さまが湖北の高月町「正妙寺」に安置されている。 寺伝によると寛弘の時代(1004~1010年)に西野のこの地で建立され、 その後天正の時代(1573~1591年)に西野丹波守秀方が現在の場所へ移したが 元和三年(1617年)に兵火にかかり堂は消失。 多くの仏像はこの兵火で焼失してしまうも、この千手千足観音様は村人たちの必死の努力で 守られたのだという。 その後も村人に大切に守られ明治四年(1871年)に現在のお堂が建立され観音像が安置された。 |
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正妙寺 山道 | |||
正妙寺へは観音の里として有名な高月町の西の外れにある「西野」という地区の北にあり、 日枝神社の脇を登るとある小さなお堂がそれである。 寺と言っても小さなお堂で、正妙寺への登り口にはイノシシ避けの電線が張られていた。 世話方さんが言うには、お堂には防犯装置をつけているものの、この山には今でもイノシシや猿が出るので、 お堂を守るために電線を張っているそうだ。 |
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正妙寺 | |||
中腹に見えるのが正妙寺 | |||
正妙寺 本堂 | |||
常時拝観ができるわけではなく、この地域の方が世話方として管理をされており、 事前予約をすることで拝観可能となる。 この日もすでにお堂には世話方の方が先に到着されており、私たちを待っていてくださった。 |
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正妙寺 十一面千手千足観音 | |||
本尊は日本でここだけにしか現存しないであろう千の手と千の足を持つ観音さま。 上半身は裸形で腰布をまとい、顔は馬頭観音のように憤怒相をしている。 額には縦に目を持つ三眼で、頭上には9つの化仏と大きな頂上面をもつ。 憤怒相と言われているが、その表情はまるで拝むものに何かを強く訴えかけるような表情をしている。 正面二本の手は右手に錫杖、左手に戟(ゲキ)をもち脇手は左右17本、肩幅にどっしりと力強く開いた脚は 脇脚として左右19本が扇状に広がっている。 寺伝によると江戸時代に体躯に金泥を塗り、瓔珞も修理され、蓮台も同時代に作られたのだという。 寺伝から考えれば平安時代の作であろうが、しっかりとした調査は今までされておらず詳細な時代については 不明のままである。 千足観音は円珍(814~891)が入唐の際に、中国において阿闍梨より授けられ三井寺(園城寺)の経蔵に秘蔵されていたというがその図像は掲載されておらず形相は明らかではない。 時代がはっきりしていないにせよ、このような像は非常に珍しく、この千手千足観音が天台密教に関係する仏像であることは間違い無いであろう。 |
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神武天皇遥拝所の碑 | |||
また、このお堂の少し上には「神武天皇遥拝所」という石柱が建っていた。 後日、世話方に聞くと、橿原神宮に神武天皇が参詣された際に村人達がこの丘に登り、 ここから橿原神宮に向かい拝んだ場所ということで石柱を建てたという。 なぜこのような場所に遥拝所の石柱があるのか一瞬不思議に思ったが、 正妙寺から下り、日枝神社の案内看板をみて納得ができた。 |
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日枝神社の水源 | |||
そこには水源があり、池には丸々と太った鯉が何匹も泳いでいたのだが、 この西野は琵琶湖からも近く水に恵まれた土地で、享保~元文には鉄分の多かった水を 竹などに水を通すことで浄水し生活用水としたそうだ。 これを筒池と呼び、日枝神社には今でもその水源とそれを記念する看板が掲げてある。 |
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正妙寺の眼前に広がる田園風景。この山の向こうには琵琶湖 | |||
水に恵まれ、小高い山に囲まれた西野という土地は、千年以上昔から人が生き続けた土地なのだろう。 その村人たちが、これだけはという思いで守りぬいた伝来不明の観音像。 その異形の姿は、特別な力のある観音さまとして、また地域が守っていく大切な本尊として今も昔も西野に暮らす人々に篤く信仰されている。 正妙寺HP:ナシ 所在地:常善寺HP JR北陸本線「高月」駅よりタクシーで20分、「木ノ本」駅よりタクシーで20分 高月町コミュニティバス北回り線「西野」バス停下車徒歩5分 拝観時間:9:00~16:00(要予約) 拝観料:300円 その他詳細情報は仏像ワンダーランドHPへ>>
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参拝日:2011/08/03 |
日本一のお寺好きが、日本全国の仏像やお寺、イベントなどの情報を分かりやすくご紹介します。主な掲載地域は奈良、京都、滋賀(湖北)、岐阜、愛知、三重が中心です。古刹、名刹、仏像に関しての拝観情報を紹介。西国三十三箇所巡礼、数珠巡礼も紹介します。
2011年8月7日日曜日
正妙寺 千の手と足を持つ異形の観音菩薩【滋賀】
滋賀湖北 正妙寺
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