先に参拝をした西国19番札所革堂からは自転車で10分ほど。 西国18番札所頂法寺に到着した。 華道の家元として有名な池坊の発祥の地でもある頂法寺は、オフィス街として賑わう烏丸通りを一本東に入った大きな商業ビルの真裏にある。京都市内の中心を南北に走る烏丸通と六角通の交差点を東に入れば、左手にすぐ見え、こちらも革堂と同じく京都の中心部の真ん中にある。 | |||
頂法寺(六角堂)写真は2011/01/30撮影 | |||
寺伝によると開基は聖徳太子で、その昔、緑生い茂る森であったこの地に大阪の四天王寺建立の用材を求めて 巡っていた際に、清らかな泉の湧き出ている池があった。 それがこの頂法寺であり、身を清めたその夜に夢のお告げがあり、杉の大木を木って建てたお動が六角堂であり、 このお堂に守護仏である如意輪観音像を安置したのが始まりと伝えられている。 | |||
頂法寺(六角堂) 山門 | |||
現在の六角堂は幕末の戦乱で消失した後、明治初期に再建されたものである。この六角堂という名は、本堂の形が六角形となっていることから付けられたものであるが、正面から見ると外陣となる入母屋造りの礼堂が設けられており六角形の形は正面からはわからない。 | |||
頂法寺(六角堂) | |||
お堂の右手には寺務所がありそこを進むと親鸞堂がる。そこから本堂を望むと六角形をしていることがわかる。 京都の中心部とはいえ、境内は広く親鸞堂の他にも太子堂など大きくはないが、見どころは多い。 | |||
西国18番札所 頂法寺(六角堂) | |||
六角堂の手前には縁結びで有名な柳がある。 緑の生い茂った地面を擦るほどの大きな柳は「地ずり柳」と呼ばれておりその枝々におみくじが結ばれていた。 これは平安時代に嵯峨天皇(786年-842年)が后を求めておられたときに夢の中で「六角堂の柳の下を見よ」とお告げがありました。 さっそく天皇が六角堂の柳の元へ行ってみるとそこには絶世の美女。 嵯峨天皇はその美女を后に迎えたことから「六角堂の柳に願をかけると良縁に恵まれる」と言うのが町衆にも広まり、縁結びの柳として良縁を求める人達のおみくじで枝の先端部分は白く花を付けているように見えるのです。 | |||
頂法寺(六角堂) | |||
六角堂は、西国33観音霊場18番札所でもあり、オフィス街の中心部ということもあり平日でも多くの参拝者や憩いを求める人々で賑わっている。 本尊である如意輪観音像は秘仏のため通常は開扉されることはないが、その姿は高さ約5.5cm程で聖徳太子の念持仏と伝えられている。 本尊は通常の六臂(腕が六本)の如意輪観音像ではなく二臂の姿をしている。 外陣からは御前立を拝見することが出来るのであるがその姿は、六臂の姿をしており秘仏本尊とは異なっていた。 ちなみに、前回のご開帳は花山法皇の一千年忌にあたることから2008年と2009年に1ヶ月ほど開扉されたがこれが136年ぶりの公開であったという。 | |||
隣のビルより 写真は2011/01/30撮影 | |||
六角堂の形は烏丸通りに立つビルのエレベーターから見るとその姿がよくわかる。 元々の姿は左の六角形のお堂のみであったが、参拝のための礼堂が写真右側に付けられたため、なんとも4複雑な造形となっている。 | |||
洋食ボンジュール | |||
時間がちょうど昼時ということもあり、六角堂から東に数メートル歩いた右手にある「洋食ボンジュール」で昼食をとった。 1951年からずっと六角通で営業されている洋食の老舗。 久しぶりに店内に入ると内装は綺麗になっていたが、10年ほど前に食べたハンバーグの味は変わらなかった。 ハンバーグランチは900円で、写真はデミグラスソース。他に煮込みハンバーグとミンチカツレツの3種類からメインを選び、 次に数種類のおかずの中から一品を選ぶのがこの店のスタイル。 私はいつもデミグラスハンバーグと和牛コロッケを選んでしまうが、他にもライスカレーなどメニューは豊富。席数は少ないので12時前に入らないと満席で座れないことがしばしば。 ボンジュールでお腹いっぱいになった後は、いよいよ修学旅行の本命。清水寺へ向かう。 HP:http://www.ikenobo.jp/rokkakudo/ 所在地:京都府京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町248 京都市営地下鉄「烏丸御池」駅5番出口から徒歩3分 阪急京都線「烏丸」駅21番出口から徒歩5分 市バス「烏丸三条」バス停から徒歩2分 拝観時間:6:00~17:00(納経時間:8:00~17:00) 拝観料:志納 その他詳細情報は仏像ワンダーランドHPへ>>
大きな地図で見る |
|||
参拝日:2011/05/18 |
日本一のお寺好きが、日本全国の仏像やお寺、イベントなどの情報を分かりやすくご紹介します。主な掲載地域は奈良、京都、滋賀(湖北)、岐阜、愛知、三重が中心です。古刹、名刹、仏像に関しての拝観情報を紹介。西国三十三箇所巡礼、数珠巡礼も紹介します。
2011年5月28日土曜日
西国18番札所頂法寺 聖徳太子創建の六角堂【京都】
頂法寺(六角堂)
2011年5月22日日曜日
西国19番札所行願寺 街中にひっそりと佇む革堂【京都】
行願寺(革堂)
大好きな京都。 仏像好きというよりもお寺の空間そのものが好きな私は、京都にいるだけで胸が高鳴る。 この日は、朝一番に亀岡の穴太寺に参拝し、そのまま車で京都市内に入りそこからは自転車で回ることにした。折りたたみ自転車であれば車にも積むことが出来、こうゆう時には非常に便利だ。 予定コースは、革堂→六角堂→清水寺→今熊野観音寺→元慶寺と、すべて西国巡礼の札所を参拝する。 | |||
鴨川 | |||
鴨川を左手に見ながら川端通りを北進し、丸太町通りを左折、 河原町丸太町の交差点を過ぎると京都御所の南東角、寺町通にぶつかるので ここを左折し80mほど進めば左手に西国33観音霊場19番札所「革堂(こうどう)」に到着となる。 詳しい方なら寺町通りと竹屋町通の交わるところに行願寺があると言った方が分かりやすいのかもしれない。 | |||
西国19番札所 行願寺(革堂) | |||
三条京阪あたりから自転車でのんびり走っても15分ほどで到着した。 革堂は正しくは「行願寺(ぎょうがんじ)」という天台宗の寺院。 | |||
行願寺(革堂) 山門 | |||
車なら気づかずに通り過ぎてしまいそうなくらい、街中にひっそりと佇んでいる。 | |||
行願寺(革堂) | |||
1004年に創建されたこの行願寺、「革堂」という不思議な名前であるが、 その由来は、行願寺の開基である行円上人が若い頃、身篭った母鹿を射止めてしまったことを悔やみ、 それからは常にその鹿の皮をまとい生活していたことから、その姿を見た人々に皮聖(かわのひじり)と呼ばれることとなった。 その事から皮聖の居るお堂ということで革堂と呼ばれるようになったと言われている。 創建当時は一条通りにあったものが応仁の乱など度重なる戦乱や火災により幾度も焼け、 京都市内で場所を変えながらも多くの人々の篤い信仰から今も京都市内の中心部に建つ。 | |||
行願寺(革堂) | |||
山門前に立つ石柱にはその時からのものであろうか「一条かうどう」と書かれていた。 | |||
行願寺(革堂) | |||
現在の本堂は1815年に建てられたもので、本堂に掲げられた奉納額や、 山門の札からも、長い年月と共に集まった多くの人々の篤い信仰を伺い知ることが出来る。 本堂には、平日の朝にも関わらず多くの巡礼者が訪れていた。 | |||
行願寺(革堂) | |||
街の中心部にこれだけ見事なお堂が現れるのも京都の特徴であろう。 本堂から離れて見てみると唐破風をつけた重みのある屋根を持つお堂であることが分かる。 | |||
行願寺(革堂) 手水舎 | |||
今回の旅で新たに使用したのが一眼レフ。 今までの小さなデジカメと比べるといろいろな写真が取れるので楽しい。 | |||
行願寺(革堂) | |||
この日の参拝者も西国33観音巡礼をまわっている方々が多かった。 京都の中心部とは言え、一本入った所にひっそりと佇む革堂はこの界隈に住む人達を除けば、西国巡礼者がほとんどなのかも知れない。 | |||
行願寺(革堂) 奉納額 | |||
本堂に掲げられた多くの奉納額。 行願寺がいかに町の人々、巡礼者から愛されていたかが伝わってきます。 | |||
行願寺(革堂) | |||
本尊は秘仏の千手観音立像で、 開基である行円上人が彫られたと伝わっています。 本堂には常時御前立の千手観音が立っており、その脇には2mほどの地蔵菩薩立像が安置されている。 この地蔵菩薩像の姿が、白い頭巾をかぶったお姿という少し変わった格好。恐らく位が高いということで頭巾をかぶっているのであろう。暗い堂内に光のように明るい真っ白な頭巾が印象的であった。 本尊千手観音立像のご開帳は1月17日と18日の二日間のみ。 この日は内陣に上がることができます。 |
|||
行願寺(革堂) | |||
本堂の右手はこのようになっている。写真正面には鎮宅霊符神堂、右は庫裏。京都の街中らしい小じんまりとした境内であるが、一歩入れば周りの騒音が消えるように感じるのは私だけだろうか。 | |||
行願寺(革堂) | |||
行願寺は西国札所だけではなく、京都七福神巡りの一つでもあります。 七福神の石像の左手には寿老人を祀るお堂がありました。室町時代に広まった福神信仰により京都市内には多くの福神が祀られている。特に「えべっさん」や「大黒さん」と親しみを持った呼び名で関西圏では広まっています。 ※寿老人…人の寿命を支配する星の化身で三千年の長寿を保つ玄鹿を従え、人々の難を払う団扇を持っていることから、福財・子宝・諸病平癒・長寿の功徳ありといわれています。 | |||
行願寺(革堂) | |||
境内のさらに奥には一条から移ってくる前からここにあったのだろうか、大きな平安期の五輪塔。 | |||
行願寺(革堂) | |||
ひっそりと、という言葉がほんとうに良く当てはまる革堂。 この日は5月中旬というのに日差しは強く、いよいよ蒸し暑い夏の京都が始まろうとしていた。 この後、西国18番六角堂へ向かう。 HP:ナシ 所在地:京都府京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町17 京阪電車「神宮丸太町」駅下車徒歩10分 拝観時間:8:00~16:30 拝観料:志納 その他詳細情報は仏像ワンダーランドHPへ>>
大きな地図で見る |
|||
参拝日:2011/05/18 |
2011年5月8日日曜日
養老寺 名瀑に守られた千手観音【岐阜】
養老寺
養老寺は岐阜県では有名な養老の滝の麓にある真宗大谷派の寺院。養老寺のあるこの土地一帯が県営の養老公園となっており、一年を通して多くの観光客で賑わう観光スポットとなっている。 717年には草壁皇子の娘である元正天皇(氷高皇女)が、740年には奈良の大仏の発願者でもある聖武天皇が行幸に お出かけになるほどの名瀑と名水を持った地域で、元正天皇の時にはこの地の水で痛みが回復されたことから「醴泉は、美泉なり。もって老を養うべし。」とお褒めになり、元号も霊亀から「養老」に改元された。 | |||
養老寺 | |||
養老二年には七堂伽藍を構える大寺であったそうだが、今では兵火や檀家信徒の減少などもあってか現在の本堂は外も中も老朽化が進んでいるようで本堂のブルーシートが現状をよくあらわしていた。 | |||
養老寺 千手観音 | |||
宝物殿と掲げられた収蔵庫に案内していただくと千手観音と向きあうことが出来た。 寺伝によると鎌倉時代とあるが、この養老寺は平安末期に天台宗に転派したことから本像もその頃のものであろう。 様相からも平安時代藤原期の特徴をよく現している。 | |||
養老寺 千手観音 | |||
光背と台座、錫杖は後補であるが、鼻筋の通った細身のその体躯は女性らしい気品が伝わる。 | |||
養老寺 千手観音 | |||
観音さまの後ろには養老の滝がいつも轟々と流れ落ちている。観音さまがこの地に来るよりもずっと前からこの地を守ってきた養老の滝に観音さまも守られているのだろう。 その表情はとっても柔らかだった。 | |||
養老寺 不動堂 | |||
また、本堂と宝物殿の間には不動堂があり、ここには絶対秘仏である不動明王(県重要文化財)が安置されている。 岐阜という地方は実に様々な仏像が多い。 この近くでも美濃国分寺の薬師如来、明星輪時の地蔵菩薩、報恩寺の円空仏など仏像濃度の濃い県である。 ただし、殆どの寺院が観光寺院でないため事前の申込が必要な寺院も多く、なかなか多くの人に知ってもらうことが出来ないのが残念である。 HP:ナシ 所在地:岐阜県養老郡養老町養老公園1276-1 養老鉄道養老線「養老」駅より徒歩20分もしくは、養老駅よりバスで「養老公園」下車 拝観時間:要予約確認 拝観料:志納 その他詳細情報は仏像ワンダーランドHPへ>>
大きな地図で見る |
|||
参拝日:2011/04/27 |
2011年5月6日金曜日
薬師寺 玄奘三蔵会大祭に行ってきました。【奈良】
薬師寺 玄奘三蔵会大祭
5月5日、一般にはこどもの日として親しまれている祝日。 奈良の薬師寺では玄奘三蔵会大祭(げんじょうさんぞうえたいさい)が行われます。 | |||
薬師寺 南門 | |||
法相宗の大本山でもある薬師寺、その始祖とされる方が西遊記でも有名な玄奘三蔵法師であり、そのご遺徳を偲ぶお祭りが玄奘三蔵会大祭なのです。 | |||
薬師寺 練供養 | |||
当日は、福智院や西方院などの拝観をしていた為、最初からの参加とは行きませんでしたが、15時半頃に薬師寺に着くと大講堂横から玄奘三蔵院伽藍までの練供養がちょうど始まったばかり。 | |||
薬師寺 読経 | |||
その後堂内に移動して惣礼、唄の後、表白、読経が行わます。 ※練供養(練供養)…音楽を演奏しながら行列して歩くことをいい「お練り」ともいう。一般的には来迎した諸菩薩の格好をした人たちが歩く姿で當麻寺などが有名。 ※惣礼(そうらい)…物事の始まりの時に惣礼の鐘を鳴らし全員起立のもと鐘の音にあわせ三度頭をさげる。 ※表白(ひょうびゃく)…法事の最初に、その法事の趣旨などを仏前に申し述べること。 | |||
山田法胤管主による法話 | |||
そしていよいよ17時からこの日のメインイベントである伎楽奉納がスタート。 この日は三蔵法師役を俳優の榎木孝明さんが2年連続で務め、声明は薬師寺の僧侶さん、伎楽隊には天理大学雅楽部の学生さんたちが素敵な音を響かせていました。 | |||
伎楽 | |||
この伎楽で細い竹を幾本も重ねた笙(しょう)の音色を初めて聞きましたが、実際に耳から聴こえる竹の共鳴しあう音色が大変力強く心地よい響きでした。音楽を聞いて心奪われるというのはこういう感覚のことを言うのでしょうか。 この伎楽の内容は「旅立ちの段」「高昌国の段」「印度ナーランダ寺の段」「仏典将来の段」「譯経の段」の五場で構成されており、 物語は玄奘三蔵法師が鎖国をしていた唐の国から仏典の研究のため西暦629年に国禁を犯し「不東(もう国に戻らない・戻れない)」の決意でインドへ旅をし、サンスクリットの仏経原典657部を携えて唐へ帰国するまでの旅を伎楽で演じています。 | |||
玄奘三蔵役 榎本孝明 | |||
薬師寺のこの祭りは、物語の流れを分かりやすくするよう工夫されており、薬師寺の僧侶が「声明」という形で物語の筋立てを語ってくれるので、私のような雅楽などに余り馴染みのない者にもストーリーは大変分かりやすく楽しむことが出来ました。 およそ一時間ほどの伎楽を楽しみ、18時頃お堂を出ると日没になり最後のイベント万灯供養会の始まりです。 受付時に渡されていた蝋燭に種火から火を移し玄奘三蔵院伽藍一面に設置された置灯篭に一人一つずつ明かりを灯すと辺り一面はオレンジの温かな光に包まれます。 | |||
万灯供養会 | |||
太陽が全て西の生駒山に隠れ、その日一日の終わりを告げるように空が暗く覆うと、まるで命の暖かさそのものを伽藍一面で表しているかのような幻想的空間となりました。 これはもともと、お釈迦様が涅槃に入られる前に泣き崩れる弟子たちに向かって、「自らを燈明とし、法を燈明とせよ」と最後の説法をされたことに由来します。 インドへと向かった玄奘三蔵も法燈を求め、また自らの燈明をも灯し続けられたのでしょう。そして、その遺徳を偲ぶ玄奘三蔵会大祭。 私も参拝者の方たちと一緒に伽藍一面を覆う法燈の一つを灯すことが出来ました。 薬師寺玄奘三蔵会大祭HP:http://www.nara-yakushiji.com/contents/genjyosanzoetaisai/index.html 所在地:奈良県奈良市西ノ京町457 近鉄難波、京都から快速急行または特急で大和西大寺で乗り換え。各駅停車天理行きまたは橿原神宮前行きに乗車。西ノ京駅下車すぐ。 拝観時間:8:30~17:00 拝観料:玄奘三蔵院伽藍公開時800円、閉鎖時500円
大きな地図で見る |
|||
参拝日:2011/05/05 |
薬師寺 玄奘三蔵会大祭に行ってきました。【奈良】
薬師寺 玄奘三蔵会大祭
5月5日、一般にはこどもの日として親しまれている祝日。 奈良の薬師寺では玄奘三蔵会大祭(げんじょうさんぞうえたいさい)が行われます。 | |||
薬師寺 南門 | |||
法相宗の大本山でもある薬師寺、その始祖とされる方が西遊記でも有名な玄奘三蔵法師であり、そのご遺徳を偲ぶお祭りが玄奘三蔵会大祭なのです。 | |||
薬師寺 練供養 | |||
当日は、福智院や西方院などの拝観をしていた為、最初からの参加とは行きませんでしたが、15時半頃に薬師寺に着くと大講堂横から玄奘三蔵院伽藍までの練供養がちょうど始まったばかり。 | |||
薬師寺 読経 | |||
その後堂内に移動して惣礼、唄の後、表白、読経が行わます。 ※練供養(練供養)…音楽を演奏しながら行列して歩くことをいい「お練り」ともいう。一般的には来迎した諸菩薩の格好をした人たちが歩く姿で當麻寺などが有名。 ※惣礼(そうらい)…物事の始まりの時に惣礼の鐘を鳴らし全員起立のもと鐘の音にあわせ三度頭をさげる。 ※表白(ひょうびゃく)…法事の最初に、その法事の趣旨などを仏前に申し述べること。 | |||
山田法胤管主による法話 | |||
そしていよいよ17時からこの日のメインイベントである伎楽奉納がスタート。 この日は三蔵法師役を俳優の榎木孝明さんが2年連続で務め、声明は薬師寺の僧侶さん、伎楽隊には天理大学雅楽部の学生さんたちが素敵な音を響かせていました。 | |||
伎楽 | |||
この伎楽で細い竹を幾本も重ねた笙(しょう)の音色を初めて聞きましたが、実際に耳から聴こえる竹の共鳴しあう音色が大変力強く心地よい響きでした。音楽を聞いて心奪われるというのはこういう感覚のことを言うのでしょうか。 この伎楽の内容は「旅立ちの段」「高昌国の段」「印度ナーランダ寺の段」「仏典将来の段」「譯経の段」の五場で構成されており、 物語は玄奘三蔵法師が鎖国をしていた唐の国から仏典の研究のため西暦629年に国禁を犯し「不東(もう国に戻らない・戻れない)」の決意でインドへ旅をし、サンスクリットの仏経原典657部を携えて唐へ帰国するまでの旅を伎楽で演じています。 | |||
玄奘三蔵役 榎本孝明 | |||
薬師寺のこの祭りは、物語の流れを分かりやすくするよう工夫されており、薬師寺の僧侶が「声明」という形で物語の筋立てを語ってくれるので、私のような雅楽などに余り馴染みのない者にもストーリーは大変分かりやすく楽しむことが出来ました。 およそ一時間ほどの伎楽を楽しみ、18時頃お堂を出ると日没になり最後のイベント万灯供養会の始まりです。 受付時に渡されていた蝋燭に種火から火を移し玄奘三蔵院伽藍一面に設置された置灯篭に一人一つずつ明かりを灯すと辺り一面はオレンジの温かな光に包まれます。 | |||
万灯供養会 | |||
太陽が全て西の生駒山に隠れ、その日一日の終わりを告げるように空が暗く覆うと、まるで命の暖かさそのものを伽藍一面で表しているかのような幻想的空間となりました。 これはもともと、お釈迦様が涅槃に入られる前に泣き崩れる弟子たちに向かって、「自らを燈明とし、法を燈明とせよ」と最後の説法をされたことに由来します。 インドへと向かった玄奘三蔵も法燈を求め、また自らの燈明をも灯し続けられたのでしょう。そして、その遺徳を偲ぶ玄奘三蔵会大祭。 私も参拝者の方たちと一緒に伽藍一面を覆う法燈の一つを灯すことが出来ました。 薬師寺玄奘三蔵会大祭HP:http://www.nara-yakushiji.com/contents/genjyosanzoetaisai/index.html 所在地:奈良県奈良市西ノ京町457 近鉄難波、京都から快速急行または特急で大和西大寺で乗り換え。各駅停車天理行きまたは橿原神宮前行きに乗車。西ノ京駅下車すぐ。 拝観時間:8:30~17:00 拝観料:玄奘三蔵院伽藍公開時800円、閉鎖時500円
大きな地図で見る |
|||
参拝日:2011/05/05 |
2011年5月1日日曜日
淡墨観音 樹齢1500年以上の霊木と共に生きる人たち【岐阜】
淡墨観音
4月21日、我が家の目の前に拡がる五条川の桜は既に散ってしまい綺麗な緑色の葉をつけていた。 この日は天気も良く岐阜県本巣市にある淡墨桜を見に行こうと思い車を走らせた。この淡墨桜は、この地域の桜が散りだした頃に満開を迎える。 | |||
淡墨桜 | |||
目的地までには高速道路はなく車で2時間という距離。 到着すると既に散り初めではあったが、樹齢1500年以上の淡墨桜(エドヒガンザクラ)は綺麗な花を咲かせていた。淡墨桜とは、散り際に淡い墨色の花びらになることからその名が付いた。 樹齢1500年以上という長い間、命が絶えることなく生き続ける姿は霊木そのもの。1500年前というと西暦500年あたり。世界最古の木造建築といわれる法隆寺の西院伽藍が607年頃の創建であるからそれよりもさらに古く、聖徳太子の誕生や平城宮が遷都されるもっと昔、時代では継体天皇のあたりという想像すらつかない時代の木である。 | |||
淡墨観音 本堂 | |||
淡墨観音 本堂 | |||
そんな淡墨桜を一目見ようと平日にも関わらずこの日は沢山の観光客が来ていた。 公園を抜け淡墨桜の反対側へ抜けると、淡墨観音と淡墨大師という2つのお堂がある。観音堂には、聖観音が安置されており寺伝では大正時代に暴風雨により折損した淡墨桜を大正9年(1920年)岐阜市の辻寿山氏が県から譲り受け彫刻し、大正12年5月18日に開眼法要が開かれたという。 | |||
淡墨観音 本尊 | |||
その姿は高さ25cm程であろうか小ぶりな坐像が蓮華座の上に坐し左手には蓮の花を持つ。 その大きさのため、お堂の外からでは全体像がしっかりと把握できないが、観音さまの視線の先には淡墨桜が大きく枝を広げていた。 まるで目の前で我が子が元気にはしゃいでいるかの様な生き生きとした枝の拡がり。 樹齢1500年以上とは言え、観音さまに見守られながら淡墨桜はまだまだ長生きしそうだ。 | |||
淡墨大師堂 | |||
観音堂の道の反対側には淡墨大師堂。 この日は弘法さんの命日ということもあり、坊守のおばあさんがこれから始まる法要の準備をされていた。 この二つのお堂の話を坊守さんから聞かせてもらうと、 真新しいこのお堂は平成17年に焼失後、その年にすぐに再建され現在の姿となっているが、焼失前の弘法大師の像は大正13年に作られた等身大の姿で、なんとカゴ編みだったという。 この坊守さんは山ひとつ向こうから嫁いでこられたそうで、三代前の住職がこの地にお堂を建立した。先々代の住職は最寄りの駅でもある根尾駅前に郵便局を建てるなどこの地域に尽力されたそうで、現在も檀家が一人もいないという状態であるが、三代全ての住職は一般の会社に勤めながら給料をこの二つのお堂に捧げたりと、まさに全てをこの村のために捧げてきた家である。 現在の住職の代には、この地域に昔からあった茅葺屋根の自宅が家事にあったりと苦労続きだったそう。 そんな昔話を坊守のおばあさんは、 「そんな昔の話なんか誰も聞きたがらないし、 苦労は今の人には分かってもらえないから自ら話さないんだけどね。」 と懐かしそうに話してくれた。 人生の先輩が、波乱万丈の今までをさらりと話してくれた。 そこにある重みや、この地への思いはしっかりと感じ取ることが出来た。 | |||
淡墨大師堂 坊守 | |||
淡墨観音HP:ナシ 所在地:岐阜県本巣市根尾板所(淡墨公園内) 樽見鉄道樽見駅より徒歩約15分 公開:公開(桜の開花する季節以外は不定休) 拝観料:志納 その他詳細情報は仏像ワンダーランドHPへ>>
大きな地図で見る |
|||
参拝日:2011/04/21 |
登録:
投稿 (Atom)