琵琶湖の南東に位置する滋賀県草津市の浄土宗寺院「常善寺」。 天平時代に良弁僧正が華厳宗のお寺として創建されたと伝えられる草津最古の寺院です。 この日は7月7日七夕。ここに安置されている鎌倉期の阿弥陀三尊にどうしても会いたく、車を走らせた。 この寺院は無住の寺で拝観するには前日までに予約が必要である。 しかしその予約もそう簡単なものではなく、土日は拝観を休みし参拝客も団体のみというのが原則となっている。 この日は偶然、団体客が11時頃にみえるということで、私はその中にご一緒させていただくこととなった。 |
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常善寺 昭和43年以前の写真(くさつ夢本陣にて) | |||
常善寺は、東海道五十三次52番目の宿場である草津宿から300m程しか離れておらず、往時には3499坪の寺領を持つ程の 隆盛を極めたが、大正時代から寺の修理修復を怠ったため本堂は老廃、その後、昭和43年に現在の鉄筋コンクリートの本堂が 落慶され、平成14年にはその敷地内に浄土宗滋賀教区教務所が建った。 現在はこの滋賀教区教務所が常善寺本堂を管理されており、この日の予約手配をしていただいた「くさつ夢本陣」のボランティアガイドさんに 挨拶をすまし、そこから数分の常善寺へと向かった。 |
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商店街アーケードの奥に見えるのが常善寺 | |||
常善寺 | |||
アーケードを進むと北側に広い駐車場があり、その奥に小さなコンクリート製のお堂が見えた。 この時点で団体客はまだ来ておらず、とりあえずお堂の隣に建つ大きな浄土宗滋賀教区教務所へ拝観の旨を告げると、 私一人だけであるにも関わらず本堂の鍵を開けてくださった。 後から知った話だが、予定の11時の時点で団体の方は遅れており1時間ほど後から常善寺に到着したらしい。 |
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常善寺 見返り文殊菩薩 | |||
堂内に上がるとその建物の大きさとは不釣合なほど、大きく拡がる鎌倉時代の阿弥陀三尊が安置されていた。 お堂には上がれても20人くらいがギリギリのスペースだった。 |
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上、観音像台座下框の墨書(健長五年) 下、虫損台座蓮弁の墨書(康元元年) | |||
中尊の阿弥陀如来は康元元年(1256)に造像されたもので、後に購入した草津市教育委員会の発行書には その証となる墨書が掲載されていた。 下記の図の下側の「常善寺中尊台座蓮弁墨書銘」がそれで、康元元年の文字が中央の蓮弁でよくわかる。 また、その上の写真は観音菩薩像台座の下框に住み書が残されており健長5年(1253)の墨書がある。 |
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常善寺 阿弥陀如来坐像 | |||
常善寺 阿弥陀如来坐像 | |||
脇侍の観音・勢至両菩薩は宝髻高く、切金文様の入った衣紋は複雑に風の流れを表した姿。 中尊の阿弥陀如来は螺髪が大きく右足を上にした結跏趺坐で来迎印を結んでいる。 |
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常善寺 勢至菩薩 | |||
常善寺 観音菩薩 | |||
常善寺 勢至菩薩衣紋 | |||
三尊背面の来迎壁には二十五菩薩来迎図が描かれており、こちらは3年ほど前に修復され、 三尊と併せて立体的な来迎絵巻の構図を表している。 その三尊の姿から一説には快慶の作とも言われているが、墨書にある1256年という年代を考えると 生没年不詳の快慶ではあるが、その後の文献から考察すると1223~1227年の間に没したことは確かであり、この三尊は 快慶に最も近いその直系の弟子行快などの作ではないだろうか。 誰が造像したにせよ、鎌倉前期の特徴をよく留めたこの姿がほぼ完璧な状態で光背と共に残っている。 小さなお堂に立体来迎図という観光寺院では絶対に出会うことのない仏像空間をこの常善寺では体験できる。 そしてこの後は、次に予約している大津市の圓福院へと向かった。 常善寺HP:ナシ 所在地:滋賀県草津市草津3丁目9番7号 JR琵琶湖線「草津」駅下車、徒歩15分 拝観時間:要予約確認 拝観料:志納 その他詳細情報は仏像ワンダーランドHPへ>>
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参拝日:2011/07/07 |
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2011年7月31日日曜日
常善寺 小さなお堂で体感する立体来迎図【滋賀】
滋賀 常善寺
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