2011年9月8日木曜日

寿宝寺 明かりに照らされた千手観音【京都】

京都 寿宝寺


京都南部の宇治市から車で南に30分ほど走ると京田辺市の寿宝寺に着く。 更にここから車で30分走れば奈良の東大寺となる。

以前から書籍などでしかその姿を拝むことの出来なかった千手観音立像が、 この寿宝寺に安置されている。今回は事前に拝観のお願いを申し入れ念願叶い拝見できることとなった。



寿宝寺
寿宝寺 山門

寺伝によると文武天皇の慶雲元年(704年)創建と伝えられている。 この地は東大寺方面から登れば奈良街道の最初の宿場町、京都伏見から下れば東大寺へ向かう最後の宿場町として 栄え、古くは七堂伽藍を備えてる大寺であった。今では往時を偲ぶものは残っていない。

ここの東を流れる木津川の度重なる氾濫により移転を繰り返し、この地に移ったのは享保十七年(1732年)のこと。



寿宝寺
寿宝寺 観音堂

明治初めの廃仏毀釈に際して近隣の寺々を合併し、現在の本尊である千手観音(国の重要文化財)や降三世明王、金剛夜叉明王が 観音堂に安置されている。

本堂の横に庫裏があり、寺庭さんに案内をしてもらった。
観音堂に入ると塗香を手に取り身を清め、お経を上げていただいた。


寿宝寺
寿宝寺 千手観音像

寿宝寺
寿宝寺 降三世明王

寿宝寺
寿宝寺 降三世明王

寿宝寺
寿宝寺 金剛夜叉明王


観音堂には正面に本尊千手観音、向かって左手に降三世明王、右手に金剛夜叉明王が安置されている。
この3躰の仏像はこの地から約1キロ南西にある式内社の佐牙神社の神宮寺に祀られていたもので神宮寺が明治初めに廃寺になった際、寿宝寺に移されたと伝えている。

千手観音は通常42本の手を持って千手と呼ぶ場合が多いが、実際に千本の手を持つ千手観音もいらっしゃる。 大阪の「葛井寺」、奈良の「唐招提寺」とともに、実際に千本の手を持つ千手観音として有名なのがこの寿宝寺の観音さま。その千手を広げた姿は力強く、口元は固く閉じた厳しいお顔をしていた。

千手は右に五百、左に五百を持っており、その手の平一つ一つに墨で眼が書かれている。

千手観音は長い間秘仏であったことと、素地ながら護摩供養をしていたため虫食いがなく状態が非常に良い。 平成9年に観音堂の新築と併せて三体の仏像が奈良の文化財修理所修理された。 その姿は口元に朱が残りこの朱だけは平安時代のままだという。

お寺の方に、この観音さまはその昔、藁葺屋根の本堂にお祀りされていて、その屋根から差し込む月明かりで拝むのが最も優しい姿なのだと話してくださった。そして、その雰囲気を感じてくださいということで収蔵庫の扉を閉め天井からの蛍光灯の明かりだけで照らされた姿が浮かび上がった。


寿宝寺
寿宝寺 千手観音像(扉を閉じた状態)

蛍光灯の青白い明かりは当時の月明かりと似ていたのかもしれない。扉を開けた状態で拝見したあの厳しく感じた表情から一変し、優しい表情に変わったのだ。衆中を救おうと広げる千本の手、瞳の大きさが分かるくらいに閉じられた眼、柔らかな状態の膨らみ。その畏れに身震いがした。

あまりの美しさに声も出せず固まってしまった私に、今度は明かりを消し外の光だけでその姿を拝見させていただいた。 蛍光灯が消され堂内が真っ暗になると、ゆっくりと扉を開けて太陽の光を堂内に入れた。


寿宝寺
寿宝寺 千手観音像(扉を開けた状態)


すると浮かび上がったのは、さっきとはまるで別人のような姿だった。檀像風のその顔は穏やかながら、口元の朱が際立ち目元は力強い。光の当たり方で観音さまから受け取る畏れが変わるというのは初めての体験であった。

どちらの姿も慈愛に満ちており、素敵な出会いをさせてもらった。


寿宝寺さんへ拝観の際は、事前予約が必要となる。
また、天候の悪いときは拝観予約をしても観音堂の扉を開けることはできないということで運も必要となってしまうが、この表情の対比を拝むことが出来る晴天にぜひ訪れて欲しい。

近隣には国宝の十一面観音(木心乾漆)を安置する観音寺も近いのでそちらと併せて拝見するのがいいだろう。




寿宝寺HP:ナシ
所在地:京都府京都府京田辺市三山木塔ノ島20

JR学研都市線・近鉄京都線「三山木」駅から徒歩5分    
拝観時間:要予約
拝観料:志納
その他詳細情報は仏像ワンダーランドHPへ>>




寿宝寺周辺地図

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参拝日:2010/09/01





2011年9月2日金曜日

安倍文殊院 綺麗になった文殊館!平成23年卯年特別結縁拝観【奈良】

奈良 安倍文殊院


快慶作の高さ7mという日本最大の文殊菩薩で有名な安倍文殊院の歴史は古く、 寺伝では大化元年(645年)に阿部一族の本拠地であったこの寺院のある「阿部」の地に、 当時の左大臣阿倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)が安倍一族の氏寺として「阿部寺」を ここから南西300mほど離れた地に建立したのが始まりである。


安倍文殊院
安倍文殊院 山門


その後平安時代に建てられた別所が現在の安倍文殊院で、 陰陽師として今でも有名な安倍晴明の没後、彼が「文殊菩薩の化身」であるという民間信仰が 広まったことから慶派の仏師快慶により文殊菩薩群像が作られた。


安倍文殊院
安倍文殊院


今年は平成23年3月に本堂の大改築が完成したのを祈念して特別結縁拝観が行われており、 本堂内陣奥まで行き拝見することができる。

本堂にはまるで神社のように思えてしまう合格祈願の絵馬などが掛けられており、 少し独特な空気が流れている。

お堂の荘厳さが損なわれてしまっているのはいささか残念である。


安倍文殊院
安倍文殊院 本堂

本堂で受付を済ませ、お抹茶をいただき早速、本尊が安置されている文殊館へと向かった。
三人寄れば文殊の知恵と言われるように、知恵を司るのが文殊菩薩で、 乗るのは百獣の王である獅子。
百獣の王をも制するということを表しています。


安倍文殊院
安倍文殊院本尊 文殊菩薩坐像(絵葉書より引用)


右足を左足の膝の上に乗せた半跏踏下坐(はんかふみさげざ)で、 右手の剣は煩悩を断ち切ることを意味し、左手に握る蓮華は煩悩を取り去った境地を表します。

つまり文殊菩薩は単なる知識を与えるだけではなく、 人間の煩悩から生じる悩みを取り去る知恵をも授けてくれる菩薩さまなのです。


その姿は獅子を併せて高さ7mという巨大なお姿。
よく目をこらせると宝冠の5つの化仏があり、文殊菩薩が敬愛に溢れることを意味している。また衣や唇には彩色が残っていることがわかる。

安倍文殊院
安倍文殊院 渡海文殊群像(絵葉書より引用)


改装前のお堂は背後まで木の板が張ってあり時代を感じさせる造りであったが、 今回の改装により背後が白い壁になりより一層、文殊菩薩の煌びやかな姿が際立つ造りとなった。

獅子に乗り4人の従者を従え人々を救いに行く渡海文殊の姿。 永禄六年(1563年)には兵火にあい群像の向かって左後の維摩居士と文殊菩薩の乗る獅子が消失して、 現在の二躰は安土桃山時代に新たに作られたものである。


安倍文殊院
安倍文殊院 望郷詩碑

平成22年に平城遷都1300年祭を記念し、遣唐使として渡唐した阿倍仲麻呂の詩が書家・榊莫山氏の揮毫により金閣浮見堂(仲麻呂堂)の前に建立された望郷詩碑。これは仲麻呂が唐から帰郷の折、中国蘇州の港にて詠まれたという詩。


「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」


安倍文殊院
安倍文殊院 閼伽井古墳(東古墳)


古来より枯れることなく湧き続ける飛鳥時代の閼伽井(あかい)古墳または東古墳ともいう。
この泉に湧水は「閼伽水(あかすい)」と呼ばれ「仏様にお供えするための清浄かつ神聖な水」という意味を持つ。 ここを参拝すると知恵が湧く事で古来から参拝者が訪れる。


この近くには国宝の十一面観音を安置する聖林寺や、車で20分も走れば明日香の岡寺、飛鳥寺などへも行動可能なので、 この安倍文殊院をスタートに奈良の仏像巡礼をするにはとても充実感のあるコースとなる。





安倍文殊院HP:http://www.abemonjuin.or.jp/new/index_m.htm
所在地:奈良県桜井市安倍645番地

近鉄「桜井」駅より徒歩で約20分、バスは桜井駅南口2番乗り場より「37石舞台」行き約7分。
時刻表はこちら>>
   
拝観時間:9:00~17:00
拝観料:700円(お抹茶付き)
その他詳細情報は仏像ワンダーランドHPへ>>




安倍文殊院周辺地図

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参拝日:2011/08/31