4月21日、我が家の目の前に拡がる五条川の桜は既に散ってしまい綺麗な緑色の葉をつけていた。 この日は天気も良く岐阜県本巣市にある淡墨桜を見に行こうと思い車を走らせた。この淡墨桜は、この地域の桜が散りだした頃に満開を迎える。 | |||
淡墨桜 | |||
目的地までには高速道路はなく車で2時間という距離。 到着すると既に散り初めではあったが、樹齢1500年以上の淡墨桜(エドヒガンザクラ)は綺麗な花を咲かせていた。淡墨桜とは、散り際に淡い墨色の花びらになることからその名が付いた。 樹齢1500年以上という長い間、命が絶えることなく生き続ける姿は霊木そのもの。1500年前というと西暦500年あたり。世界最古の木造建築といわれる法隆寺の西院伽藍が607年頃の創建であるからそれよりもさらに古く、聖徳太子の誕生や平城宮が遷都されるもっと昔、時代では継体天皇のあたりという想像すらつかない時代の木である。 | |||
淡墨観音 本堂 | |||
淡墨観音 本堂 | |||
そんな淡墨桜を一目見ようと平日にも関わらずこの日は沢山の観光客が来ていた。 公園を抜け淡墨桜の反対側へ抜けると、淡墨観音と淡墨大師という2つのお堂がある。観音堂には、聖観音が安置されており寺伝では大正時代に暴風雨により折損した淡墨桜を大正9年(1920年)岐阜市の辻寿山氏が県から譲り受け彫刻し、大正12年5月18日に開眼法要が開かれたという。 | |||
淡墨観音 本尊 | |||
その姿は高さ25cm程であろうか小ぶりな坐像が蓮華座の上に坐し左手には蓮の花を持つ。 その大きさのため、お堂の外からでは全体像がしっかりと把握できないが、観音さまの視線の先には淡墨桜が大きく枝を広げていた。 まるで目の前で我が子が元気にはしゃいでいるかの様な生き生きとした枝の拡がり。 樹齢1500年以上とは言え、観音さまに見守られながら淡墨桜はまだまだ長生きしそうだ。 | |||
淡墨大師堂 | |||
観音堂の道の反対側には淡墨大師堂。 この日は弘法さんの命日ということもあり、坊守のおばあさんがこれから始まる法要の準備をされていた。 この二つのお堂の話を坊守さんから聞かせてもらうと、 真新しいこのお堂は平成17年に焼失後、その年にすぐに再建され現在の姿となっているが、焼失前の弘法大師の像は大正13年に作られた等身大の姿で、なんとカゴ編みだったという。 この坊守さんは山ひとつ向こうから嫁いでこられたそうで、三代前の住職がこの地にお堂を建立した。先々代の住職は最寄りの駅でもある根尾駅前に郵便局を建てるなどこの地域に尽力されたそうで、現在も檀家が一人もいないという状態であるが、三代全ての住職は一般の会社に勤めながら給料をこの二つのお堂に捧げたりと、まさに全てをこの村のために捧げてきた家である。 現在の住職の代には、この地域に昔からあった茅葺屋根の自宅が家事にあったりと苦労続きだったそう。 そんな昔話を坊守のおばあさんは、 「そんな昔の話なんか誰も聞きたがらないし、 苦労は今の人には分かってもらえないから自ら話さないんだけどね。」 と懐かしそうに話してくれた。 人生の先輩が、波乱万丈の今までをさらりと話してくれた。 そこにある重みや、この地への思いはしっかりと感じ取ることが出来た。 | |||
淡墨大師堂 坊守 | |||
淡墨観音HP:ナシ 所在地:岐阜県本巣市根尾板所(淡墨公園内) 樽見鉄道樽見駅より徒歩約15分 公開:公開(桜の開花する季節以外は不定休) 拝観料:志納 その他詳細情報は仏像ワンダーランドHPへ>>
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参拝日:2011/04/21 |
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2011年5月1日日曜日
淡墨観音 樹齢1500年以上の霊木と共に生きる人たち【岐阜】
淡墨観音
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