2011年2月19日土曜日

一心寺 10年に一度生まれる納骨の阿弥陀様【大阪】

一心寺

難波の水掛不動でお参りをした後、向かった先は「一心寺」


地下鉄で「四天王寺前夕陽ヶ丘」駅で下車。

その名のとおり小高い丘の上のようで、駅を上がると西には通天閣が頭を出していました。
向かう先はその手前の一心寺。

別名、お骨佛の寺とも呼ばれています。


お骨佛。。。そのまま読むなら骨の仏さん。
とまぁ、お骨佛の話は後にして、まずは境内へ。すると、驚きです!

アートです!!
お寺さんなのにアートなのです!!



これ、一般的なお寺さんの入り口の箇所に当たります。
通称「山門」と呼ばれ「〇〇山 □□寺」などと書かれているあそこの部分です。


そして、その上に立つ2体の像は仁王像。
左の口を開けた象は「阿形像」、右のどっしり構えた方は「吽形像」。

こちらでは、まるでヨーロッパの彫刻作品のようなテイスト。
これってお寺さん?と一瞬見間違う造りになっています。


どうやら、こちらのご住職は建築家でいらっしゃるようで、
1997年に完成し、仁王像やその下に見える扉のレリーフも日本人作家さんの作品だそうです。


お寺さんとは思えない、このド派手なイメージは大阪独特の感性でしょうか。
まるで、美術館にでも来たかのような印象でちょっと腰が引けてしまいます…



通常、お寺の扉には「乳鋲」といって女性の乳房のような飾りがあるのですが
もちろん、一心寺さんにもありました。ただし、そのままです。。。

あくまでも通常は女性の"乳房のような"飾りなのです。通常は。。。



これが一心寺さんの場合…このようなスタイルになります!





やはりアートです!



と、お寺さんに入る前から驚かされてばっかりですが、
境内は至って普通です。

いや、むしろこれだけのアートを見せられた後に、
境内に入ると、見慣れたお寺の境内も全くの異世界。
ピンとしたお寺さん独特の空気が立ち込めます。



そして、この一心寺さんは他のお寺さんとは少し違った方法で、
仏像を作ってみえます。

10年に一度あるものを集めて完成する阿弥陀如来。


それは、納骨です。


最初この話を聞いたときは、独特の恐ろしさを感じましたが、
遺族の側にたってみれば、親の骨が仏像となり後世にまで残る。

そして、多くの方に拝んで頂ける。
こうした姿に自分の大切が人が変わるのは素敵なことでしょう。


そのお骨佛が安置されているのは境内片隅の納骨堂。
雨の上がった平日の昼間も本堂より多くの人で賑わっていました。




この蝋燭の灯った奥に安置されているのがお骨佛。


最初に作られたのが明治20年。
以後10年ごとに集まった納骨で一体の阿弥陀如来を造るのですが、
この地域は、大阪大空襲によりそれまで出来ていた6体が焼失。

戦後1947年(昭和22年)から空襲で消失した残骸を集めて新たな一体を完成させました。

それから10年に一度というペースで今現在もなおお骨佛は造り続けられているのです。







撮影させていただいた写真では分かりづらいかも知れませんが、
正面にライトが当たっているのは第13期(H9~H18)に造立された阿弥陀様です。

毎日多くの参拝者が訪れ、お線香、蝋燭をあげていかれます。

その"すす"の付着や時代差もあり、年代の古いものほど、
灰色に黒く光っています。

チャコールグレーというべきか、黒光りというべきか、
恐らくこの寺院でしか生まれない「黒さ」がありました。


真新しい13期の阿弥陀様は、
これが納骨の色なのでしょう。柔らかな乳白色に彩色が綺麗に映えています。



後ろから40代くらいの姉妹が、
「正面がお父さんで、お母さんはどれだろう。」
そんな話が聞こえてきました。

彼女たちにとっては、両親の姿そのものがそこにあるのかも知れません。
お骨佛のお寺、一心寺。

一度は訪れて欲しいお寺さんです。



平等院HP:http://www.isshinji.or.jp/index.html
所在地: 大阪市天王寺区逢阪2丁目8-69

電車:JR大阪環状線「天王寺」駅から800m
   市営地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘」駅から徒歩500m

拝観時間:9:00~16:00
拝観料:ナシ
休み:ナシ





一心寺周辺地図

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参拝日:2011/02/09





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