2011年4月17日日曜日

中墓寺 村で守り続けた3躰の平安仏【奈良】

中墓寺

私の住む愛知県から奈良県へ車で向かうときは、一般的に最短時間、最短距離をとると亀山から国道25号線、通称名阪国道を使い、天理方面へ入るルートとなる。

今回はそのルートを少し変更し伊賀上野から木津川沿いを走り笠置へというルートを取った。
このルートを使うと景色の良い山道を走ることになるのだが、笠置の山はいつも緑が濃く、木津川の水は澄んでおり勢い良く流れ、天気の良い時には絶好のドライブコースとなる。


木津川
木津川


笠置から山道を南下し下狭川という集落に今回の目的地である中墓寺に到着した。
笠置と同じくこの辺りも石仏で有名な地域だが、今回は収蔵庫に安置された仏像を拝見するために訪れた。

ここの地名でもある下狭川というのは、この地の領主の名で室町時代から戦国時代末期までその名を誇っていたという。

拝観の予約をお願いした午前9時。
正面に建つ庫裏へ行き、ご住職に挨拶を済ますと左手の瑠璃殿と名の掲げられたコンクリート造の収蔵庫へと案内していただいた。


中墓寺
中墓寺




中墓寺 薬師如来坐像
中墓寺 薬師如来坐像


収蔵庫には中央に薬師如来坐像、両脇に定印の阿弥陀如来坐像、上品下生の阿弥陀如来坐像が安置されており、3躰とも平安時代の作。薬師如来坐像の右手には、室町くらいの作であろうか、小さな薬師如来立像が安置されていた。

中央の薬師如来坐像は、かつてこの地にあった金剛院の本尊で宝暦年間(18c後半)に、この中墓寺にやってきたという。現在は薬師如来様が身につける納衣を除き肌となる箇所はすべて金泥を施されている。これは天台宗の薬師如来像によく見られる形で、着衣には朱で彩色し体部は漆箔といういわゆる朱衣金体の像である。
これは、修理に出す際に村の人達の希望で今のような金色の姿にしたそうだ。


中墓寺 本尊右手の阿弥陀如来坐像
中墓寺 本尊右手の阿弥陀如来坐像




中墓寺 本尊左手の阿弥陀如来坐像
中墓寺 本尊左手の阿弥陀如来坐像


左右の阿弥陀如来は顔や雰囲気が似ており同じ仏師もしくは仏師集団が彫ったものであろう。
衣紋の彫りはやや浅く、僅かに金の残るその顔は全体に丸みを帯び、親しみやすい素朴な顔立ち。

この地域はその昔、地形を利用し南明寺をはじめ数多くの山岳修行の寺院が建立されていたが、その後衰退し、戦火や廃仏毀釈により多くの寺院が廃寺へとなった。

住職にお話を聞くと、この狭川の村も他の地域同様、一時期全ての寺院が廃寺となり、そこに安置されていた仏たちをここへ集めて寺号をつけたのが中墓寺の始まりなのだという。

そして、これだけの立派な平安仏がこの地に多いのは、都が奈良から平安に移ると村人たちは奈良の中心部に出る必要がなくなり自らこの地に仏を掘り出し手を合わせたのだ説明していただいた。

確かに、笠置から登ってきても分かったが、これだけ深い山里の中に居を構えてしまえば、奈良の中心部へと行くのは容易なことではなく、この地にお堂が建てられ仏像が安置されたのも頷ける。

自分たちの村で大事にされていた仏像だけは守らなければならない。
そうゆうこの地の人々の強い思いや信仰心が、廃寺になった寺々の仏像をこの瑠璃殿に集めたのだろうか。

中墓寺へは、笠置寺や南明寺、浄瑠璃寺など南山城の寺院を拝見するコースを組むと充実した拝観コースとなるのでぜひ巡っていただきたい。

中墓寺 本尊左手の阿弥陀如来坐像
中墓寺 本尊左手の阿弥陀如来坐像




中墓寺HP:ナシ
所在地:奈良県奈良市下狭川町2060

JR関西本線「笠置」駅より33号線南進、約15分
   
拝観時間・休み:拝観の際は電話にて予約が必要(0742-95-0612)
拝観料:志納
その他詳細情報は仏像ワンダーランドHPへ>>




中墓寺周辺地図

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参拝日:2010/11/11





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