2011年6月5日日曜日

西国16番札所清水寺 清い水の地に建つ観音霊場【京都】

清水寺

穴太寺からスタートした西国巡礼もいよいよ中盤に入り、革堂から六角堂、そして清水寺へと向かった。


六角堂から清水寺へは自転車で約30分。
やはり京都で一番賑わう観光地ということもあり、小学生や中学生の修学旅行も重なりこの日も多くの人で賑わっていた。


清水寺
清水寺仁王門 左には西門、奥に三重塔




清水寺は西国33観音霊場第16番の札所。
細かな説明をせずとも誰もが、おおよその事を知っている寺院というのは、 この清水寺と東大寺ぐらいであろう。


世界遺産にも登録された清水寺。その草創は奈良時代末期778年に延鎮という僧が開山し、 平安時代に入り間もない798年に後の征夷大将軍である坂上田村麻呂が仏殿を建立したのが 清水寺の始まりと伝えられている。

その後、興福寺系統の寺であったため比叡山との争いに度々巻き込まれ 諸堂の焼失を繰り返してきた。

現在の諸堂は寛永6年(1629年)9月10日の火災で全焼したものを寛永10年(1633年)、 徳川家光の寄進により再建されたものが多い。


清水寺
清水寺清水の舞台から 写真中央が奥の院


境内に入ると本堂の前方には見晴台を兼ねた清水の舞台が現れる。
「清水の舞台から飛び込んだつもりで…」という言葉でも有名な大きな舞台。


急な崖の上にケヤキの柱を釘を一本も使わずに組み上げられた「懸造り(山や崖にもたせかけたり、 谷や川の上に突き出したりして建てること)」の舞台からは京都市内が一望できる。1200年前からこの舞台で多くの人が今日の街を一望したのだろう。


清水寺 千手観音
清水寺奥の坊から 右が清水の舞台と本堂


清水寺
清水寺 懸け造り


その舞台の北には本堂があり、外陣に上がり参拝することが可能。
内陣に入ることは出来ないが、秘仏で厨子に納められた千手観音像の左右の厨子には毘沙門天と 鎧を身にまとった珍しい地蔵菩薩が納められている。 それらを守るかのように二十八部衆と風神・雷神が薄暗い内陣に安置されているのが分かる。


本尊の千手観音は一般的に放射状に開かれた他の千手観音像とは異なり、 最も顔に近い左右の腕をまっすぐに頭上に伸ばし、化仏である如来坐像を両手で持つ「清水形観音」と呼ばれる姿。全国でもこの様相は少ない。
詳しくは清水寺HPを参照≫
(東海地方にお住まいであれば、岐阜の慈恩寺でこの姿を拝見することが出来る。 ご開帳は、1月1日~3日と8月9日、10日の午前中のみ)


清水寺
清水寺 阿弥陀堂


他にも清水寺には、本堂を出て眼前に建つ洛陽三十三所観音霊場第11番札所の奥の院や、 法然上人二十五霊跡第13番札所でもある阿弥陀堂など 国宝、重要文化財を含んだ15の伽藍が、音羽山中腹一帯の13万平方メートルという広大な敷地に点在している。


伎楽
清水寺 音羽の滝


諸堂をひと通り周ると修学旅行生で賑わう音羽の滝が現れる。
三筋の清流が流れるこの滝は、六根清浄、所願成就を祈願するため1000年以上前から多くの人々に親しまれている。


清水寺子安塔から本堂を眺める
清水寺 子安塔から本堂を眺める


最も離れた位置にあるのが、子安の塔(現在修復工事中)であり、 奥の院から200メートルほど離れた丘の上に三重塔が建っている。

ここからは、本堂を正面に拝することができるので 時間に余裕があるならここまで足を伸ばしておきたいところ。


今までと明らかに違ったことは、海外からの旅行者がほとんど見受けられなかったということ。 私が知る清水寺は、季節を問わず海外からの旅行者が多くまるで人種のるつぼと化していた。 それが3月に起こった震災の影響で、外国人旅行者が減少している。

震災からまだ2ヶ月程なので慎重になっているのであろうが、 清水寺に日本人が多いというのは不思議なことであり、外国人旅行者の減少が 目に見えてわかる光景だった。


しかし、それでも京都一を誇る観光名所。修学旅行生だけでも清水寺へ向かう 清水坂は行きも帰りも多くの人で溢れていた。


清水坂を自転車で颯爽と下り、次の目的地「今熊野観音寺」を目指す。



HP:http://www.kiyomizudera.or.jp/index.html
所在地:京都府京都市東山区清水1-294

市バス「清水寺」「五条坂」下車徒歩15分
   
拝観時間:6:00~
閉門時間は季節により変更するので、清水寺HPを確認すること。
拝観料:300円(夜間拝観時400円)
その他詳細情報は仏像ワンダーランドHPへ>>




清水寺周辺地図

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参拝日:2011/05/18





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