2011年6月14日火曜日

西国15番札所今熊野観音寺 京都駅から徒歩30分の静寂【京都】

今熊野観音寺、元慶寺


京都での西国巡礼も、この日は残すところあと2ヶ寺。
観光客で賑わいをみせる清水寺から東大路通を南下し自転車でゆっくりのんびり20分。

異国な表情をした楊貴妃観音でも有名な泉涌寺に到着。この泉涌寺の塔頭の一つに西国33観音霊場第15番今熊野観音寺はある。

※塔頭(たっちゅう)…寺院の敷地内にある子院のこと。禅宗で、大寺の高僧の死後、弟子がその徳を慕って墓の塔の頭(ほとり)に構えた寮舎。


今熊野観音寺
泉涌寺 総門


泉涌寺は東大路通の「泉涌寺道」交差点を東へ入り緩い坂道を300mほど進むと、大きな総門へと達する。その奥に続く緑のトンネルに一歩入れば車の通りも騒音もない静寂に包まれる。

泉涌寺は真言宗泉涌寺派の総本山でもあり、鎌倉時代以降の歴代の天皇の陵墓をもった皇室ゆかりの御寺(みてら)である。


今熊野観音寺 千手観音
泉涌寺 参道


年中緑の生い茂る静かな参道は参拝者しか通ることのない澄んだ空気が辺りを覆う。なんども泉涌寺を訪れているがこの空気感は実に心地がいい。

今回は次の寺院への拝観時間が迫っており、参拝しなかったが、素晴らしい仏像や庭園をもつ塔頭が参道には数多く並んでいる。

即成院
即成院


泉涌寺の総門に入る左手には、 極楽浄土をその内陣空間に表した阿弥陀如来坐像と二十五菩薩像を安置する即成院。

戒光寺
戒光寺


総門を越え少し歩くと左手には、鎌倉時代の大仏師運慶とその子湛慶が作ったとされる光背を入れた総高10mの高さをもつ釈迦如来立像。

また、方角的には南に位置する泉涌寺のさらに奥には、見事な庭園を持つ雲龍院があり、飴色に艶の出た光背を持つ薬師三尊や走り大黒天を安置している。塔頭は他にもあり全てを回るならば丸一日かかるくらいの広大な敷地を持っている。

今熊野観音寺
今熊野観音寺 鳥居橋


西国15番札所、今熊野観音寺も泉涌寺の塔頭の一つで、泉涌寺へと向かう参道を左に折れると緑の中に一際目を引く赤い橋が見える。 これが今熊野観音寺と泉涌寺の間の谷を流れる今熊野川を渡る鳥居橋で、これを過ぎると今熊野観音寺の境内となる。

今熊野観音寺
今熊野観音寺




今熊野観音寺
今熊野観音寺 本堂


左手にコンクリート造りの大講堂をみながら緩い坂道の山道を登ると、本堂が現れる。 境内は泉涌寺塔頭の中でも最も広く、本堂の右奥には多宝塔が樹々の中から顔を出していた。

京都駅から泉涌寺境内までは歩いても30分ほどの距離。
近代化の進んだあの駅前から歩いて30分で、これだけの濃い緑に囲まれた寺院に着くのだから京都という町は不思議な土地だ。


今熊野観音寺
今熊野観音寺 本堂


本尊は弘法大師空海作と伝えられている秘仏十一面観音像が、厨子の中に安置されており、 明るい堂内から同じ姿をされた御前立本尊が立たれている。

賑やかな京都の中心部から少し離れた観音寺は静寂に包まれた巡礼地に相応しい佇まいをしていた。


朝から亀岡の穴太寺、京都市内に入り革堂→六角堂→清水寺→今熊野観音寺と西国巡礼の札所を巡り時計は午後の三時を過ぎていた。
今熊野からコインパーキングに停めておいた三条まで自転車を走らし、車に乗り換えこの日の最後の目的地である山科の元慶寺を目指す。

元慶寺は西国33観音霊場の番外で、札所巡礼の中興の祖である花山法皇が落飾(出家)されたお寺。 清水寺でも有名な東山を越えた東側が山科であるが、その住宅街を一本北に入った大型車は通れない道幅の狭い道路の先にある。

元慶寺
元慶寺 山門


似たような造りの家が4~5件並ぶ道幅2mほどの細い路地を進むと、屋根に鯱を配した立派な楼門をもつ元慶寺に到着する。 鬱蒼と樹々が生い茂る5月、楼門をくぐると左には本堂、奥には庫裏の姿を確認することが出来た。

元慶寺
元慶寺 本堂


本尊は秘仏薬師如来坐像。本堂は閉めきっており、障子戸にはめ込んだガラス越しに中を拝見するが、 目視ではしっかりと確認することは出来ない。お寺の方に聞くところによると十二神将も安置されているとの事だ。

また、現在は京都国立博物館に寄託されているが、梵天と帝釈天は平安前期~中期の一木造で創建当時の像だという。


元慶寺
元慶寺 境内


境内の奥に庫裏があり、靴を脱ぎスリッパにはきかえて御朱印を頂き、ご住職と話をしていると観光寺院ではないために維持をしていくのはなかなか大変なのだとか。

それでも、綺麗に掃き清められた石畳と手入れされた木々たちには、往時の繁栄を思わせる美しさが残っていた。







今熊野観音寺HP:http://www.kannon.jp/
所在地:京都府京都市東山区泉涌寺山内町32

阪急電鉄 四条河原町駅から、市バス207号系統(東向き)にて泉涌寺道下車、徒歩10分
JR・京阪電車東福寺駅より、徒歩15分
京都駅(JR・近鉄)より市バス208号系統(東向き)にて泉涌寺道下車、徒歩10分
京都駅より タクシー約5分
市バス利用の際は、循環バスのため運行方向に注意。
   
拝観時間:8:00~17:00
拝観料:志納
その他詳細情報は仏像ワンダーランドHPへ>>




今熊野観音寺周辺地図

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元慶寺HP:ナシ
所在地:京都府京都市山科区北花山河原町13

地下鉄東西線「御陵」駅下車徒歩約20分
JR「山科」駅下車徒歩約40分
京阪バス「北花山」バス停下車徒歩約5分

拝観時間:8:00~17:00
拝観料:志納
その他詳細情報は仏像ワンダーランドHPへ>>




元慶寺周辺地図

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参拝日:2011/05/18





2011年6月5日日曜日

西国16番札所清水寺 清い水の地に建つ観音霊場【京都】

清水寺

穴太寺からスタートした西国巡礼もいよいよ中盤に入り、革堂から六角堂、そして清水寺へと向かった。


六角堂から清水寺へは自転車で約30分。
やはり京都で一番賑わう観光地ということもあり、小学生や中学生の修学旅行も重なりこの日も多くの人で賑わっていた。


清水寺
清水寺仁王門 左には西門、奥に三重塔




清水寺は西国33観音霊場第16番の札所。
細かな説明をせずとも誰もが、おおよその事を知っている寺院というのは、 この清水寺と東大寺ぐらいであろう。


世界遺産にも登録された清水寺。その草創は奈良時代末期778年に延鎮という僧が開山し、 平安時代に入り間もない798年に後の征夷大将軍である坂上田村麻呂が仏殿を建立したのが 清水寺の始まりと伝えられている。

その後、興福寺系統の寺であったため比叡山との争いに度々巻き込まれ 諸堂の焼失を繰り返してきた。

現在の諸堂は寛永6年(1629年)9月10日の火災で全焼したものを寛永10年(1633年)、 徳川家光の寄進により再建されたものが多い。


清水寺
清水寺清水の舞台から 写真中央が奥の院


境内に入ると本堂の前方には見晴台を兼ねた清水の舞台が現れる。
「清水の舞台から飛び込んだつもりで…」という言葉でも有名な大きな舞台。


急な崖の上にケヤキの柱を釘を一本も使わずに組み上げられた「懸造り(山や崖にもたせかけたり、 谷や川の上に突き出したりして建てること)」の舞台からは京都市内が一望できる。1200年前からこの舞台で多くの人が今日の街を一望したのだろう。


清水寺 千手観音
清水寺奥の坊から 右が清水の舞台と本堂


清水寺
清水寺 懸け造り


その舞台の北には本堂があり、外陣に上がり参拝することが可能。
内陣に入ることは出来ないが、秘仏で厨子に納められた千手観音像の左右の厨子には毘沙門天と 鎧を身にまとった珍しい地蔵菩薩が納められている。 それらを守るかのように二十八部衆と風神・雷神が薄暗い内陣に安置されているのが分かる。


本尊の千手観音は一般的に放射状に開かれた他の千手観音像とは異なり、 最も顔に近い左右の腕をまっすぐに頭上に伸ばし、化仏である如来坐像を両手で持つ「清水形観音」と呼ばれる姿。全国でもこの様相は少ない。
詳しくは清水寺HPを参照≫
(東海地方にお住まいであれば、岐阜の慈恩寺でこの姿を拝見することが出来る。 ご開帳は、1月1日~3日と8月9日、10日の午前中のみ)


清水寺
清水寺 阿弥陀堂


他にも清水寺には、本堂を出て眼前に建つ洛陽三十三所観音霊場第11番札所の奥の院や、 法然上人二十五霊跡第13番札所でもある阿弥陀堂など 国宝、重要文化財を含んだ15の伽藍が、音羽山中腹一帯の13万平方メートルという広大な敷地に点在している。


伎楽
清水寺 音羽の滝


諸堂をひと通り周ると修学旅行生で賑わう音羽の滝が現れる。
三筋の清流が流れるこの滝は、六根清浄、所願成就を祈願するため1000年以上前から多くの人々に親しまれている。


清水寺子安塔から本堂を眺める
清水寺 子安塔から本堂を眺める


最も離れた位置にあるのが、子安の塔(現在修復工事中)であり、 奥の院から200メートルほど離れた丘の上に三重塔が建っている。

ここからは、本堂を正面に拝することができるので 時間に余裕があるならここまで足を伸ばしておきたいところ。


今までと明らかに違ったことは、海外からの旅行者がほとんど見受けられなかったということ。 私が知る清水寺は、季節を問わず海外からの旅行者が多くまるで人種のるつぼと化していた。 それが3月に起こった震災の影響で、外国人旅行者が減少している。

震災からまだ2ヶ月程なので慎重になっているのであろうが、 清水寺に日本人が多いというのは不思議なことであり、外国人旅行者の減少が 目に見えてわかる光景だった。


しかし、それでも京都一を誇る観光名所。修学旅行生だけでも清水寺へ向かう 清水坂は行きも帰りも多くの人で溢れていた。


清水坂を自転車で颯爽と下り、次の目的地「今熊野観音寺」を目指す。



HP:http://www.kiyomizudera.or.jp/index.html
所在地:京都府京都市東山区清水1-294

市バス「清水寺」「五条坂」下車徒歩15分
   
拝観時間:6:00~
閉門時間は季節により変更するので、清水寺HPを確認すること。
拝観料:300円(夜間拝観時400円)
その他詳細情報は仏像ワンダーランドHPへ>>




清水寺周辺地図

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参拝日:2011/05/18





2011年5月28日土曜日

西国18番札所頂法寺 聖徳太子創建の六角堂【京都】

頂法寺(六角堂)

先に参拝をした西国19番札所革堂からは自転車で10分ほど。
西国18番札所頂法寺に到着した。

華道の家元として有名な池坊の発祥の地でもある頂法寺は、オフィス街として賑わう烏丸通りを一本東に入った大きな商業ビルの真裏にある。京都市内の中心を南北に走る烏丸通と六角通の交差点を東に入れば、左手にすぐ見え、こちらも革堂と同じく京都の中心部の真ん中にある。


頂法寺(六角堂)
頂法寺(六角堂)写真は2011/01/30撮影


寺伝によると開基は聖徳太子で、その昔、緑生い茂る森であったこの地に大阪の四天王寺建立の用材を求めて 巡っていた際に、清らかな泉の湧き出ている池があった。

それがこの頂法寺であり、身を清めたその夜に夢のお告げがあり、杉の大木を木って建てたお動が六角堂であり、 このお堂に守護仏である如意輪観音像を安置したのが始まりと伝えられている。

頂法寺(六角堂) 千手観音
頂法寺(六角堂) 山門


現在の六角堂は幕末の戦乱で消失した後、明治初期に再建されたものである。この六角堂という名は、本堂の形が六角形となっていることから付けられたものであるが、正面から見ると外陣となる入母屋造りの礼堂が設けられており六角形の形は正面からはわからない。


頂法寺(六角堂)
頂法寺(六角堂)


お堂の右手には寺務所がありそこを進むと親鸞堂がる。そこから本堂を望むと六角形をしていることがわかる。

京都の中心部とはいえ、境内は広く親鸞堂の他にも太子堂など大きくはないが、見どころは多い。


頂法寺(六角堂)
西国18番札所 頂法寺(六角堂)


六角堂の手前には縁結びで有名な柳がある。
緑の生い茂った地面を擦るほどの大きな柳は「地ずり柳」と呼ばれておりその枝々におみくじが結ばれていた。 これは平安時代に嵯峨天皇(786年-842年)が后を求めておられたときに夢の中で「六角堂の柳の下を見よ」とお告げがありました。

さっそく天皇が六角堂の柳の元へ行ってみるとそこには絶世の美女。

嵯峨天皇はその美女を后に迎えたことから「六角堂の柳に願をかけると良縁に恵まれる」と言うのが町衆にも広まり、縁結びの柳として良縁を求める人達のおみくじで枝の先端部分は白く花を付けているように見えるのです。


頂法寺(六角堂) 千手観音
頂法寺(六角堂)


六角堂は、西国33観音霊場18番札所でもあり、オフィス街の中心部ということもあり平日でも多くの参拝者や憩いを求める人々で賑わっている。

本尊である如意輪観音像は秘仏のため通常は開扉されることはないが、その姿は高さ約5.5cm程で聖徳太子の念持仏と伝えられている。

本尊は通常の六臂(腕が六本)の如意輪観音像ではなく二臂の姿をしている。
外陣からは御前立を拝見することが出来るのであるがその姿は、六臂の姿をしており秘仏本尊とは異なっていた。


ちなみに、前回のご開帳は花山法皇の一千年忌にあたることから2008年と2009年に1ヶ月ほど開扉されたがこれが136年ぶりの公開であったという。

伎楽
隣のビルより 写真は2011/01/30撮影


六角堂の形は烏丸通りに立つビルのエレベーターから見るとその姿がよくわかる。 元々の姿は左の六角形のお堂のみであったが、参拝のための礼堂が写真右側に付けられたため、なんとも4複雑な造形となっている。


頂法寺(六角堂)
洋食ボンジュール


時間がちょうど昼時ということもあり、六角堂から東に数メートル歩いた右手にある「洋食ボンジュール」で昼食をとった。
1951年からずっと六角通で営業されている洋食の老舗。 久しぶりに店内に入ると内装は綺麗になっていたが、10年ほど前に食べたハンバーグの味は変わらなかった。

ハンバーグランチは900円で、写真はデミグラスソース。他に煮込みハンバーグとミンチカツレツの3種類からメインを選び、 次に数種類のおかずの中から一品を選ぶのがこの店のスタイル。

私はいつもデミグラスハンバーグと和牛コロッケを選んでしまうが、他にもライスカレーなどメニューは豊富。席数は少ないので12時前に入らないと満席で座れないことがしばしば。


ボンジュールでお腹いっぱいになった後は、いよいよ修学旅行の本命。清水寺へ向かう。




HP:http://www.ikenobo.jp/rokkakudo/
所在地:京都府京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町248

京都市営地下鉄「烏丸御池」駅5番出口から徒歩3分
阪急京都線「烏丸」駅21番出口から徒歩5分
市バス「烏丸三条」バス停から徒歩2分
   
拝観時間:6:00~17:00(納経時間:8:00~17:00)
拝観料:志納
その他詳細情報は仏像ワンダーランドHPへ>>




頂法寺(六角堂)周辺地図

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参拝日:2011/05/18





2011年5月22日日曜日

西国19番札所行願寺 街中にひっそりと佇む革堂【京都】

行願寺(革堂)

大好きな京都。
仏像好きというよりもお寺の空間そのものが好きな私は、京都にいるだけで胸が高鳴る。

この日は、朝一番に亀岡の穴太寺に参拝し、そのまま車で京都市内に入りそこからは自転車で回ることにした。折りたたみ自転車であれば車にも積むことが出来、こうゆう時には非常に便利だ。


予定コースは、革堂→六角堂→清水寺→今熊野観音寺→元慶寺と、すべて西国巡礼の札所を参拝する。

行願寺(革堂)
鴨川


鴨川を左手に見ながら川端通りを北進し、丸太町通りを左折、 河原町丸太町の交差点を過ぎると京都御所の南東角、寺町通にぶつかるので ここを左折し80mほど進めば左手に西国33観音霊場19番札所「革堂(こうどう)」に到着となる。

詳しい方なら寺町通りと竹屋町通の交わるところに行願寺があると言った方が分かりやすいのかもしれない。


行願寺(革堂)
西国19番札所 行願寺(革堂)


三条京阪あたりから自転車でのんびり走っても15分ほどで到着した。
革堂は正しくは「行願寺(ぎょうがんじ)」という天台宗の寺院。



行願寺(革堂) 千手観音
行願寺(革堂) 山門


車なら気づかずに通り過ぎてしまいそうなくらい、街中にひっそりと佇んでいる。



行願寺(革堂) 千手観音
行願寺(革堂)


1004年に創建されたこの行願寺、「革堂」という不思議な名前であるが、 その由来は、行願寺の開基である行円上人が若い頃、身篭った母鹿を射止めてしまったことを悔やみ、 それからは常にその鹿の皮をまとい生活していたことから、その姿を見た人々に皮聖(かわのひじり)と呼ばれることとなった。

その事から皮聖の居るお堂ということで革堂と呼ばれるようになったと言われている。

創建当時は一条通りにあったものが応仁の乱など度重なる戦乱や火災により幾度も焼け、 京都市内で場所を変えながらも多くの人々の篤い信仰から今も京都市内の中心部に建つ。



行願寺(革堂)
行願寺(革堂)


山門前に立つ石柱にはその時からのものであろうか「一条かうどう」と書かれていた。


伎楽
行願寺(革堂)


現在の本堂は1815年に建てられたもので、本堂に掲げられた奉納額や、 山門の札からも、長い年月と共に集まった多くの人々の篤い信仰を伺い知ることが出来る。

本堂には、平日の朝にも関わらず多くの巡礼者が訪れていた。


行願寺(革堂)
行願寺(革堂)


街の中心部にこれだけ見事なお堂が現れるのも京都の特徴であろう。
本堂から離れて見てみると唐破風をつけた重みのある屋根を持つお堂であることが分かる。


行願寺(革堂)
行願寺(革堂) 手水舎


今回の旅で新たに使用したのが一眼レフ。
今までの小さなデジカメと比べるといろいろな写真が取れるので楽しい。


行願寺(革堂)
行願寺(革堂)


この日の参拝者も西国33観音巡礼をまわっている方々が多かった。
京都の中心部とは言え、一本入った所にひっそりと佇む革堂はこの界隈に住む人達を除けば、西国巡礼者がほとんどなのかも知れない。

行願寺(革堂)
行願寺(革堂) 奉納額


本堂に掲げられた多くの奉納額。
行願寺がいかに町の人々、巡礼者から愛されていたかが伝わってきます。

行願寺(革堂)
行願寺(革堂)


本尊は秘仏の千手観音立像で、 開基である行円上人が彫られたと伝わっています。
本堂には常時御前立の千手観音が立っており、その脇には2mほどの地蔵菩薩立像が安置されている。

この地蔵菩薩像の姿が、白い頭巾をかぶったお姿という少し変わった格好。恐らく位が高いということで頭巾をかぶっているのであろう。暗い堂内に光のように明るい真っ白な頭巾が印象的であった。


本尊千手観音立像のご開帳は1月17日と18日の二日間のみ。
この日は内陣に上がることができます。

行願寺(革堂)
行願寺(革堂)


本堂の右手はこのようになっている。写真正面には鎮宅霊符神堂、右は庫裏。京都の街中らしい小じんまりとした境内であるが、一歩入れば周りの騒音が消えるように感じるのは私だけだろうか。

行願寺(革堂)
行願寺(革堂)


行願寺は西国札所だけではなく、京都七福神巡りの一つでもあります。
七福神の石像の左手には寿老人を祀るお堂がありました。室町時代に広まった福神信仰により京都市内には多くの福神が祀られている。特に「えべっさん」や「大黒さん」と親しみを持った呼び名で関西圏では広まっています。

※寿老人…人の寿命を支配する星の化身で三千年の長寿を保つ玄鹿を従え、人々の難を払う団扇を持っていることから、福財・子宝・諸病平癒・長寿の功徳ありといわれています。

行願寺(革堂)
行願寺(革堂)


境内のさらに奥には一条から移ってくる前からここにあったのだろうか、大きな平安期の五輪塔。


行願寺(革堂)
行願寺(革堂)


ひっそりと、という言葉がほんとうに良く当てはまる革堂。
この日は5月中旬というのに日差しは強く、いよいよ蒸し暑い夏の京都が始まろうとしていた。


この後、西国18番六角堂へ向かう。




HP:ナシ
所在地:京都府京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町17

京阪電車「神宮丸太町」駅下車徒歩10分
   
拝観時間:8:00~16:30
拝観料:志納
その他詳細情報は仏像ワンダーランドHPへ>>




行願寺(革堂)周辺地図

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参拝日:2011/05/18





2011年5月8日日曜日

養老寺 名瀑に守られた千手観音【岐阜】

養老寺

養老寺は岐阜県では有名な養老の滝の麓にある真宗大谷派の寺院。養老寺のあるこの土地一帯が県営の養老公園となっており、一年を通して多くの観光客で賑わう観光スポットとなっている。

717年には草壁皇子の娘である元正天皇(氷高皇女)が、740年には奈良の大仏の発願者でもある聖武天皇が行幸に お出かけになるほどの名瀑と名水を持った地域で、元正天皇の時にはこの地の水で痛みが回復されたことから「醴泉は、美泉なり。もって老を養うべし。」とお褒めになり、元号も霊亀から「養老」に改元された。


養老寺
養老寺


養老二年には七堂伽藍を構える大寺であったそうだが、今では兵火や檀家信徒の減少などもあってか現在の本堂は外も中も老朽化が進んでいるようで本堂のブルーシートが現状をよくあらわしていた。


養老寺 千手観音
養老寺 千手観音


宝物殿と掲げられた収蔵庫に案内していただくと千手観音と向きあうことが出来た。
寺伝によると鎌倉時代とあるが、この養老寺は平安末期に天台宗に転派したことから本像もその頃のものであろう。 様相からも平安時代藤原期の特徴をよく現している。


養老寺 千手観音
養老寺 千手観音


光背と台座、錫杖は後補であるが、鼻筋の通った細身のその体躯は女性らしい気品が伝わる。


伎楽
養老寺 千手観音


観音さまの後ろには養老の滝がいつも轟々と流れ落ちている。観音さまがこの地に来るよりもずっと前からこの地を守ってきた養老の滝に観音さまも守られているのだろう。

その表情はとっても柔らかだった。


養老寺 不動堂
養老寺 不動堂


また、本堂と宝物殿の間には不動堂があり、ここには絶対秘仏である不動明王(県重要文化財)が安置されている。

岐阜という地方は実に様々な仏像が多い。
この近くでも美濃国分寺の薬師如来、明星輪時の地蔵菩薩、報恩寺の円空仏など仏像濃度の濃い県である。 ただし、殆どの寺院が観光寺院でないため事前の申込が必要な寺院も多く、なかなか多くの人に知ってもらうことが出来ないのが残念である。




HP:ナシ
所在地:岐阜県養老郡養老町養老公園1276-1

養老鉄道養老線「養老」駅より徒歩20分もしくは、養老駅よりバスで「養老公園」下車
   
拝観時間:要予約確認
拝観料:志納
その他詳細情報は仏像ワンダーランドHPへ>>




養老寺周辺地図

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参拝日:2011/04/27





2011年5月6日金曜日

薬師寺 玄奘三蔵会大祭に行ってきました。【奈良】

薬師寺 玄奘三蔵会大祭

5月5日、一般にはこどもの日として親しまれている祝日。
奈良の薬師寺では玄奘三蔵会大祭(げんじょうさんぞうえたいさい)が行われます。


薬師寺
薬師寺 南門


法相宗の大本山でもある薬師寺、その始祖とされる方が西遊記でも有名な玄奘三蔵法師であり、そのご遺徳を偲ぶお祭りが玄奘三蔵会大祭なのです。


薬師寺
薬師寺 練供養



当日は、福智院や西方院などの拝観をしていた為、最初からの参加とは行きませんでしたが、15時半頃に薬師寺に着くと大講堂横から玄奘三蔵院伽藍までの練供養がちょうど始まったばかり。


薬師寺 薬師如来坐像
薬師寺 読経


その後堂内に移動して惣礼、唄の後、表白、読経が行わます。

※練供養(練供養)…音楽を演奏しながら行列して歩くことをいい「お練り」ともいう。一般的には来迎した諸菩薩の格好をした人たちが歩く姿で當麻寺などが有名。
※惣礼(そうらい)…物事の始まりの時に惣礼の鐘を鳴らし全員起立のもと鐘の音にあわせ三度頭をさげる。
※表白(ひょうびゃく)…法事の最初に、その法事の趣旨などを仏前に申し述べること。


山田法胤管主による法話
山田法胤管主による法話


そしていよいよ17時からこの日のメインイベントである伎楽奉納がスタート。
この日は三蔵法師役を俳優の榎木孝明さんが2年連続で務め、声明は薬師寺の僧侶さん、伎楽隊には天理大学雅楽部の学生さんたちが素敵な音を響かせていました。


伎楽
伎楽


この伎楽で細い竹を幾本も重ねた笙(しょう)の音色を初めて聞きましたが、実際に耳から聴こえる竹の共鳴しあう音色が大変力強く心地よい響きでした。音楽を聞いて心奪われるというのはこういう感覚のことを言うのでしょうか。


この伎楽の内容は「旅立ちの段」「高昌国の段」「印度ナーランダ寺の段」「仏典将来の段」「譯経の段」の五場で構成されており、 物語は玄奘三蔵法師が鎖国をしていた唐の国から仏典の研究のため西暦629年に国禁を犯し「不東(もう国に戻らない・戻れない)」の決意でインドへ旅をし、サンスクリットの仏経原典657部を携えて唐へ帰国するまでの旅を伎楽で演じています。


玄奘三蔵役 榎本孝明
玄奘三蔵役 榎本孝明


薬師寺のこの祭りは、物語の流れを分かりやすくするよう工夫されており、薬師寺の僧侶が「声明」という形で物語の筋立てを語ってくれるので、私のような雅楽などに余り馴染みのない者にもストーリーは大変分かりやすく楽しむことが出来ました。


およそ一時間ほどの伎楽を楽しみ、18時頃お堂を出ると日没になり最後のイベント万灯供養会の始まりです。
受付時に渡されていた蝋燭に種火から火を移し玄奘三蔵院伽藍一面に設置された置灯篭に一人一つずつ明かりを灯すと辺り一面はオレンジの温かな光に包まれます。


万灯供養会
万灯供養会


太陽が全て西の生駒山に隠れ、その日一日の終わりを告げるように空が暗く覆うと、まるで命の暖かさそのものを伽藍一面で表しているかのような幻想的空間となりました。

これはもともと、お釈迦様が涅槃に入られる前に泣き崩れる弟子たちに向かって、「自らを燈明とし、法を燈明とせよ」と最後の説法をされたことに由来します。

インドへと向かった玄奘三蔵も法燈を求め、また自らの燈明をも灯し続けられたのでしょう。そして、その遺徳を偲ぶ玄奘三蔵会大祭。

私も参拝者の方たちと一緒に伽藍一面を覆う法燈の一つを灯すことが出来ました。




薬師寺玄奘三蔵会大祭HP:http://www.nara-yakushiji.com/contents/genjyosanzoetaisai/index.html
所在地:奈良県奈良市西ノ京町457

近鉄難波、京都から快速急行または特急で大和西大寺で乗り換え。各駅停車天理行きまたは橿原神宮前行きに乗車。西ノ京駅下車すぐ。
   
拝観時間:8:30~17:00
拝観料:玄奘三蔵院伽藍公開時800円、閉鎖時500円





薬師寺周辺地図

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参拝日:2011/05/05